いよいよロンドン・オリンピックが始まります。残念ながら、私は7月24日から北海道の札幌と根室、北方領土の国後島、四国の松山をまわり、27日の開会式などを見ることが生中継では、できそうにありません。
伝統的に国旗研究が盛んで、若いころからHer Majesties Stationary Office刊行の「Flags of All Nations」(英国海軍省編)で世界の国旗について学んだものとしてはこのオリンピックで、ロンドン大会組織委がどのように国旗を製作するか、今からある種の緊張と期待と興奮を感じます。
以下は、1964年10月の東京オリンピックの年の正月、後に大記者として数々のスクープといくつものドキュメンタリーを上梓した読売新聞社会部の本田靖春記者(1933~2004)が、「30億の兄弟たち」というシリーズで、小欄の筆者(タディ)について書いた記事です。1月3日付と4日付社会面に連載された記事です。長い記事ですので、ここでは4回に分けてご紹介しましょう。
本田記者とはこの記事がご縁でその後も交流があり、同じ1964年、売血の実態を抉った「黄色い血」追放キャンペーンは大きな反響を呼び、献血事業の改善につながった。6月まで献血供給事業団の理事長をしていた青木繁之くんは当時の日本赤十字献血学生連盟の関西支部長だった。同事業団は私の早稲田でのクラスメートの木村雅是くんが中心になって立ち上げたものであり、私はいまも監事として役員に名を連ねています。
見出しは「111のハタ」「誤りだらけの国旗」「やっとみつけた権威者・早大生を迎える」というものです。
1964年10月10日、東京オリンピック開会式開会直前の国立競技場での筆者。
日本国内で市販されている外国旗のほとんどが間違ったものだといわれたら「まさか」と答えるだろう。だが、それは、事実なのである。
ベトナム共和国(南ベトナム)の国旗。
1975年4月30日のサイゴン陥落でこの国は潰え去ったが、今でも“ボートピープル”などとして危険を冒して難民になった人たちは、旧正月(テト)をはじめ、自分たちの行事ではこの旗を掲げて故国を偲ぶ。吹浦忠正君はオリンピック東京大会組織委員会事務局競技部式典課の嘱託になった。かれの仕事は今秋のオリンピックで“正しい国旗”をあげること。そのことのために去年の3月、かれは組織委に迎えられたのである。
組織委が、とかく問題を起こしがちの国旗をだれにまかせようかという段階になって当面したのは、国旗の権威というべき人が日本にはいないということだった。
八方手をつくしたがみつからない。各団体にも協力を呼びかけた。そして偶然、日本赤十字と日本ユネスコ協会連盟が同一人物を推す結果になった。それが吹浦君だったというわけだ。
かれは青少年赤十字のOBで、いま日赤献血学生連盟の会長。かたわら自分の趣味で続けてきた国旗研究の一部を、ちょうどユネスコ新聞に連載していた。
こうして、東京オリンピックに使う各国旗に関する一切の業務は、この22歳の早稲田大学第一政治経済学部3年生の上に託されることになったのだった。学生のなんのといってはおれない。とにかくかれをおいて権威者は求められないのだからー。
小学生時代の発見
「ほら、ボクたちの小学校のころは、社会科がものすごく進められた時代でしょう。だからハタとかクニとかが好きで…」
吹浦君のことばを借りると“大発見”に“感激”したのは小学校3年生のときだった。
郷里秋田市での、いまはすでになんであったかは忘れたが、ともかくなにかの展示会で万国旗をみて、こういうことに気づいたのである。デンマークとノルウェーの国旗はよく似ているな。いや、ここにもあるぞ、似ているのが。スウェーデンか。おや、まだあった。アイスランドっていうのかー。
吹浦君はこの大発見に感激して、それがなぜなのかを知りたくなった。
そして4か国には、国旗が同じ十字旗であることのほかに、いくつもの共通性があることを知った。まずその国ぐにが北欧にあるのだということ。さらにやがては、ノルウェーはデンマークから分離し、さらにアイスランドもデンマークから独立したという歴史を。
民族、宗教、王室、歴史、地理…吹浦君の興味はそれからそれへとつながっていった。そして国旗はどれをとってもその国の建国の歴史、豊かな伝統、美しい国土の象徴であり、そこには人びとの理想が託されているのだということを学んだ。