イラク国旗物語

2008年2月末に、大阪在住の旧知の女性国旗研究家から、イラク国旗が変更になったのかとお電話でお問い合わせをいただきました。


2008年1月21日採択の現在のイラク国旗

イラク国民議会は1月21日、国旗を変更しました。BBCほかの伝えるところによると、それまでの国旗の中央に並んでいた緑色の3つの星が削除されたものになったということです。

また、「アッラーは偉大なり」という意味を表す、アラビア語(右から左に読む)による「アッラー・ホ・アクバル」という文字がクーフィー体(南部のクーファで開発された縦横とも太い線)という字体に変更になりました。中東問題に精通している畏友・佐々木良昭東京財団主任研究員によれば、「これは古くから用いられた字体であり、今は宣伝媒体など目立つ場所で使うアラビア文字である」ということです。

今回の変更はサダム・フセイン前大統領のイメージを消すことに主眼があったといえましょう。すなわち、イラクでは湾岸戦争に敗れたとき、同大統領は自ら筆をとって、アッラーを称えるこの言葉を書き加えました。同研究員に拠れば、「その書体はアラビア語書道のルクアという書体で、アラビア人が通常手書きで書く書体」だそうです。それがイラク戦争での敗戦で、2004年に通常の活字体に変えられ、さらに今回新たな字体に変更したものです。

これまでの旗の3つの星は、「統一」「自由」「社会主義」という、同大統領が率いたバース党のイデオロギーを表すものであったので、これで、バース党のイメージはイラク国旗から消されたことになります。

また、先日、拙著『世界の国旗 NATIONAL FLAGS OF THE WORLD』(学研)について、こんな問い合わせが来ました。「僕は高輪高等学校2年のI(実名省略)と申す」と書き出す、実に礼儀正しい文章でした。質問の主旨は、イラク国旗の文字についてです。


1921年の独立以来の国旗。王朝の近さからヨルダン国旗に酷似した国旗だった。

1959年、カーシム将軍による革命で王政を打倒してできた時の国旗。黄色はクルド族を示す。

1963~91年、バース党政権時代の国旗

1991年1月、湾岸戦争の敗戦後、サダム・フセイン大統領の直筆で「アラーフアクバル」(アラーは偉大なり)と書き加えられたイラク国旗。

イラク戦争の敗戦後、2004年1月にサダム・フセインの直筆の文字をアラビア語クーフィー体の活字に修正したイラク国旗。

イラクの国旗はここ30年ほどで最も多く変更になった国旗の1つです。湾岸戦争のとき、1991年1月までは、赤白黒の横三色旗の中央に、緑の3つ星という、いかにもイスラムの国であり、アラブの統一を目指しているというデザイン(エジプトはじめ周辺諸国と似たデザイン)でした。

ところが、このときの敗戦で、サダム・フセイン大統領は国民のいっそうの奮起と団結を呼びかけ、自ら「アッラー・ホ・アクバル」と書き加えました。

ご承知のように、サダム・フセイン大統領は2003年3月19日からのイラク戦争でアメリカを中心とする多国籍軍に再び敗れ、同大統領は08昨年12月30日に「処刑」されました。そこで、同大統領が書いた文字をそのまま使うということが政治的に微妙となり、他の書体が使用されるようになりました。

内外のさまざまな資料を見比べると、12月17日の朝日新聞に載った南部バスラ州の治安権限を英軍から移譲される式典でも、その写真を見て「クーフィーだね」というのが佐々木氏の見解でした。

このほか、まるで漢字にいろいろな書体があるように、『コーラン』を筆写するために開発されたナスビー書体(最も標準でしばしば印刷用活字体としても用いられる書体)、芸術性の高く大きな文字に適するスルス書体などいろいろあり、法律で字体を決めているわけではなく、国旗の文字にはある程度あいまいな部分もあることがわかりました。

2008年1月22日に行われたイラク国民議会の国旗変更に関する投票結果は、賛成110、反対50。議会の審議の過程では、星はそのままにして「平和、寛容、正義」を表徴すると説明する予定でしたが、最終的には、星は除外されました。

なお、新しい旗は1年以内に変更を含めた再検討がなされるとなっているのですが、2012年7月1日現在、さらに新しい国旗が制定されたという発表はありません。

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