「大序曲 1812年」の年のアメリカ

ナポレオンがロシアに遠征し、大苦戦を強いられた1812年と言えば、新大陸では第2次米英戦争の年です。すなわち、6月23日、アメリカのマディソン大統領がイギリスに宣戦、独立戦争に次ぐとなりました。イギリスはナポレオンがロシア遠征に忙殺されている隙に、新大陸での勢力回復を企図し、米国と再度の戦争となったのです。

このときの厳しい戦闘で、首都ワシントンでの交戦では大統領官邸が火災にさらされ外壁が黒ずんだのを白いペンキで塗り被せました。これが大統領府を「ホワイトハウス」と呼ぶようになった始まりとされています。

この第2次米英戦争のさなか、ボルティモア(メリーランド州)のマクヘンリー砦で大きなドラマがありました。詩人で弁護士のフランシス・スコット・キー(当時35歳)は、捕虜となった友人の釈放交渉のために英国の軍艦に乗り込みました。交渉相手の英軍司令官は、最終的に捕虜の釈放に同意したのですが、その夜の総攻撃のため英軍が準備をしているという情報がキーたちから漏れないようにするため、2人は軍艦内に留め置かれることになりました。4動詞続いた砲撃の翌朝、キーは、砦の上に猛攻撃に耐え抜いた「星条旗」が依然として残っていることを目にしたのです。


フランシス・スコット・キーがマクヘンリー砦に翻るのを見た「星条旗」 。
この15星15条の「星条旗」は1795年5月1日から、1818年7月3日まで国旗として続いた。
その後、星は州の数を表すが、条は独立当時の13州を表す13条に固定された。

キーはこの体験を、その場で「マクヘンリー砦の防衛」という詩を書きあげました。この詩は後に、「To Anacreon in Heaven (天国のアナクレオンへ)」のメロディ(作曲はジョン・スタッフォード・スミス)に合わせて歌われるようになったのです。

キー作詞の「The Star Spangled Banner(星条旗)」は1931年3月3日でに正式に国家として法制化されました。

なお、アメリカの第2の国歌とさえいわれる行進曲「Stars and Stripes Forever(星条旗よ永遠なれ)」(作曲はジョン・フィリップ・スーザ)」は、全く別の曲。1987年にアメリカの「国の行進曲 (National March)」として制定された。

曲は、今ではきわめて荘重に演奏されますが、それ以前はかなり軽妙に歌われた宴会用の節だったのだとか.なかなかいい詩です。一度、読んでみませんか? 少し意訳してみました。

Oh, say can you see, by the dawn’s early light
おお、見ずや、夜明けの薄明かりの中、

What so proudly we hailed at the twilight’s last gleaming?
我等誇り高く、声高に叫ぶ

Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight.
危難迫るさなか城壁に翻る

O’er the ramparts we watched were so gallantly streaming?
太き縞と輝ける星の旗。

And the rockets’ red glare, the bombs bursting in air,
砲弾炸裂続けどもわが旗は

Gave proof through the night that our flag was still there,
雄雄しく一晩中翻っていたのだ。

Oh, say does that star-spangled banner yet wave.
おお、「星条旗」はなお翻る

O’er the land of the free and the home of the brave!
自由の地 勇気満てる者の地に!

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