室町時代後半になって、武士による統率力があいまいになると、「日の丸」は庶民レベルでも親しまれるようになった。山口県岩国市の吉川家に伝わり、今では、国立東京博物館(東博)所蔵の重要文化財「月次風俗図屏風」(8曲1隻、紙本着色、各縦61.1-61.8cm、横39.9-42.2cm)は16世紀初めの庶民の生活を描いたものとされる。そこに「日の丸」の扇が描かれている。
「東博」のHPには、「一年の各月に行われる年中行事の模様を描き,公家から庶民に至る各層の月次の風俗が展開される。第1扇は正月の羽根突,毬打,松囃,第2扇は花見,第3・4扇は田植の模様が大々的に描かれる。第5扇は賀茂競馬と衣更,第6扇は犬追物と蹴鞠,第7扇は富士の巻狩,第8扇は春日社頭の祭と雪遊びである。やまと絵の本流からやや離れた絵師の作と思われる」とある。
「紅地金丸」と「金地紅丸」、この図屏風の中はは2つの扇が出てくる。ともに、田楽師が掲げてその場の雰囲気をかもし出すツールとして扇が用いられている。上の屏風には春爛漫の桜の下で、笛や鼓に合わせて踊っている田楽師が「紅地金丸」の扇を使いてみんながいい気分でいる宴の様子が、また、下の屏風では、この屏風絵では、楽曲に合わせて苗を運び、植えるなど、田植えに精出す男女を前に、お面を被った田楽師が「金地赤丸」の扇を持って踊る様子が描かれている。田楽は古くは田植えのとき、田の神を招び、農民が仕事の能率を上げるように仕向けるというもので、この屏風絵でも全体が晴れやかで明るく、なんとも愉快で楽しげな場面となっている。
下って、慶長15(1610)年、名古屋築城の際の築城図屏風。ここでも働き手を励ますため、「白地赤丸」の扇や「金地紅丸」の旗が用いられている。
また、大阪城博物館の「石引図屏風」でも同じ時期の城造りにあたって、技術者や労務者を督励する役が同様の扇を振っている様子が描かれている。