万国旗がスエーデンでも飾られていたという話を読んだ、私の若い友人・Iくんから質問が来ました。
今の「国際法」を「万国公法」と言っていたように、かつてはinternationalという言葉を「万国」と訳していたようですが、いつから「国際」というようになったのですか?
私の知るところを記します。
幕末から明治初期にかけては確かに「万国(萬國)」のほうが普通だったかと思います。1899(明治32)年、ハーグで開催された平和会議も「万国平和会議」でした。集まった国は世界の26カ国、アジアからはオスマン・トルコ、ペルシャ(イラン)、シャム(タイ)、そして日本でした。「国際法」もまた「万国公法」でした。
その日本は欧米諸国を「泰西」と呼んでいました。「泰西」の原意は、「極めつけの西」ということですが、遠い西洋世界ないし欧米先進諸国、キリスト教社会を意味する言葉でした。
「international」の訳語として「国際」が初めて登場した時期については未だ明確ではないのですが、おそらく明治になってからでしょう。
法学者・箕作麟祥(1946~96)はそれまで「国憲」といっていたconstitutionを初めて「憲法」と呼称したことで著名ですが、1873(明治6)年、エール大学のテオドル・D・ウールジー(1801~89)による『Introduction to the Study of International Law』(1860)の翻訳書を刊行したとき、『國際法 一名萬國公法全書』として、「万国公法」より優先する形で初めて「国際法」なる言葉を用いた人でもあります。
また、奇しくも1897(明治30)年の麟祥の没した翌年がわが国における「国際法学会」の創立年でした。
しかし、明治時代であっても、日清戦争(1894~95)における「開戦詔勅」には「苟モ國際法ニ戻ラサル限リ」とあります。これはおそらく日本政府が公式な文書で「国際法」という表記をした極めて早い時期の例ではないかと思います。
喜多村和之広島大学教授によれば、「『国際化』という用語は、《教育の国際化》という用法で、すでに大正11~12年(1922~23年)にかけて現れている。
戦後では1960年代になって出現し始め、政府公文書に限定し、その初出は1967年から1970年にかけてである」とのことだ。
小欄の筆者・吹浦も参加した日本人の国際化研究会の成果をまとめた澤田昭夫/門脇厚司編『日本人の国際化―《地球市民》の条件を探る』(日本経済新聞社 1990年)の中で、伊藤彰浩広島大学教授は第1章「日本における国際化思想とその系譜」の論文で、大正時代に「国際教育推進を主張する論者の中には、それを〈教育の国際化〉と表現する人もいた。
断定的なことは言えないが、これは国際化という言葉の使用例としては、おそらく最も早い時期のものであろう。
この〈教育の国際化〉論の一例として、下中弥三郎の『日本における教育の国際化運動』(『国際連盟』1922年7月号)を取り上げてみたい」などと論述している
ただ、これより先に、徳富蘇峰主宰の雑誌『日本及日本人』の1920年春季特別号に、1913年から連載した『大菩薩峠』で近代的大衆小説の創始者とされ、大衆文学の頂点に立った中里介山(1865~1944)が『国民思想の国際化』という一文を載せている。
しかし、「国際化」の言葉はその後ほとんど用いられなくなり、戦後期では、「国際化」という表現は1960年代になってようやく出現し始めたようだ。
喜多村教授の調査によれば『日本経済新聞』(1961年11月8日付)のコラムで、以下のように、「国内政策も国際化」という表現法が戦後始めて用いられているとのことだ。これが戦後における「国際化」というタームの初出であるとは断言できないが、少なくとも1960年代当初にはこの用語が使われ出していることは明らかだ。
「…現代の世界各国の経済は、相互に密接に関連するようになってきているので、国内経済政策も、それが国外面でどのような影響を与えるかについては、常に慎重な考慮を払わなければならない。いわば《国内経済政策の国際化》が進んでいる。以前であれば、国内の経済政策を外国からとやかくいわれるのは内政干渉だという反発を受け兼ねなかったわけであるが、近年の傾向としては、国内経済政策の面でも国際的協調を図ることがむしろ当然と考えられるようになってきた。…(中略)経済政策の面で国内、国際の境が次第に薄れてきていることは注目を要する点である。」(コラム『大機 小機』「国内政策の国際性」)。
第2の用例は約半年後の1962年7月15日付で、「国際競争に生きる途」と題した、池田勇人自民党総裁再選にあたって出された「12氏共同宣言」なる文書への登場だ。
喜多村授は、『国際化』というこうした用例について、「注目すべき点は次の4点だ」と続ける。
① 国際化という用語がカッコ付きで用いられており、そのことはこの用語がまだ一般的に使われていたものではないことを示唆している。
②「国際化」という考え方はまず経済・政治の分野の現象を表すものとして取り上げられている。
③「国際化」の意味は、ここでは「国際政治政策」の国外への影響、経済力の強大化の理論にもとづいた国外経済との調整・協調の必要性と、経済政策の面での「国内、国際の境」が薄れてきていること、という意味で用いられている。
④「国際化」という用語は1960年代には、経済専門紙の『日本経済新聞』に限って現れており、『朝日新聞』等他の一般紙にこの用語が現れてくるのは、さらに約6年遅れた、1967年以後になってからのことである。
つまり、最初は国や国の経済が世界に通用するようになることを意味するかのような用例だったものが、やがて一般紙誌にも頻繁に登場するようになり、「日本の国際化」「日本人の国際化」、すなわち、「日本(日本人、日本社会)がもっと国際的に通用する国家(人間、社会)にならねばならない」といった議論が盛んに行われるようになる過程で、「国際化」という言葉が頻繁に用いられるようになったのであった。
ただ、これは裏を返せばそれほど当時の日本社会は国際化していなかったし、そのことが時代への対応に際し、深刻な課題になりかけていたということだろう。