「オリンピックを東京で」には大賛成ですが

「世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」。NHK北出清五郎アナウンサーの名調子を覚えてらっしゃる方はもう、還暦以上でしょうか。

1964年の今では「体育の日」として記念される10月10日、オリンピック東京大会の開会式が行われました。前日深夜までの大雨が嘘のように、雲1つない晴天となりました。


ロンドン五輪選手団による銀座のパレードには大勢の観衆が押し寄せました。

1964年10月10日、東京オリンピック開会式直前の国立競技場で著者は組織委国旗担当専門職員だった。

私は国旗担当専門職員として組織委員会の競技部式典課に勤務していたのですが、前日の雨で不埒にも、早稲田の仲間たちと高田馬場だったか新宿で深夜まで飲んでいました。それがまあ、飲み屋を出る頃には小止みになり、夜明けに起きてみると晴れ!

慌てましたね、あの朝は。直ちに千駄ヶ谷の国立競技場に駆けつけ、倉庫から自衛隊員が行進用の国旗を出していました。競技場の外辺にはもう国旗が上がっていました。永田さんという競技部競技課のコンピュータの専門家が、徹夜して、電光掲示板の修理を指定ましたが、朝になっても完成していませんでした。当時のコンピューター・システムは驚くほどの大型でしたが「総身に智慧が回りかね」る状態で、しばしば故障し、本番でも、例えば聖火台との連絡は、ハンドトーキーと手旗信号!でした。

開会式はわずか17秒の遅れを取り戻そうとみんなで必至になったりして、今となっては呆れるくらいの正確な運営で無地終了しました。時間の狂いで一番大変なのは航空自衛隊の戦闘機5機による五輪を描く場面です。御殿場上空で旋回して時間を見計らい殺到するのですから。これは後に「NHKプロジェクトX」でも紹介され、私も協力しました。

「(北出アナの)中継放送が今も耳によみがえってくるようだ。そのアナウンスのようにもう一度、世界中の秋晴れを東京に集めてみたい。また新しいかたちの東京五輪を見たい。日本の子どもたちに見せたい。2020年の招致が成功すれば56年ぶりになる。あのころの、昭和の坂の上の雲を目指したような活気を取り戻そう」と1月9日付の「よみうり寸評」も書いています。

それを目指す招致活動が本格的になってきました。IOC(国際オリンピック委員会)へ提出した立候補ファイルも公表されました。

9月にアルゼンチンで開かれるIOC総会で最終的に決定されるのですが、イスタンブール(トルコ)とマドリード(スペイン)。開催能力でいうなら東京は抜群だろうが、「イスラム文化圏で初」を謳うイスタンブール、中南米に大きな影響力を持ち、IOCの中に隠然たる勢力を伸ばし、会長を輩出したスペインが相手では苦戦は免れないかもしれません。

それにしても、猪瀬都知事が先日、ロンドンでの記者会見における英語のプレゼンテーションの下手さは耳を覆いたくなるものでした。石原前知事のようなオーラは望むべくもないのですが、あれでは、反対側の記者席にでも座ったほうがお似合いですぞといいたいくらい。もう少し、しっかり準備して言ってもいいのではないでしょうか。畏友・近衞忠煇日赤社長は、一昨年、赤十字赤新月社連盟の会長選に出た時は、あれほど語学に堪能な人でも、ネイティブのパフォーマンスの専門家について何度も練習をしたのです。責任者とはかくありたいものです。

もっとも、それに比べて澤穂希さんのspeech by beautiful Englishには拍手を惜しみません。

昔、前回の東京オリンピックの招致に当たっては、NHKの平沢和重解説委員がプレゼンした時は見事な説得力が奏功したと聞いています。

この上は、便利になったITとたゆみない直接的なアプローチで、IOC委員の各個撃破を図るしかないのではないでしょうか。猪瀬さんも通訳付きでいいですから、各国を回ってはいかがですか。

英語のうまい安倍総理や麻生副総理をも動員するくらいの政治力が、スポーツというときにすさまじく政治的な世界では必要なのです。「世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしま」前に、「世界中の票を少しでも多く東京に持ってきてしまわないといけないのですから。

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