国旗のある風景 – スイスがいっぱい「ハイジの村」

ご存知「アルプスの少女 ハイジ」をテーマにした公園「ハイジの村」が山梨県北杜市須玉にある。GWに柄にもなく孫とともに半日そこで遊んだ。園内、スイスが満載である。

日本人のスイス好きは欧米人にはいささか理解しにくいもののようだ。国際赤十字の仕事をしていた時、各国からの同僚はスイスに本部のある組織の代表であるにかかわらず、スイスの“悪口”ばかり言っていた。


「ハイジの村」入口付近

曰く、「フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペイン… みんな豊かな文化がある。ロシアさえも。でも、スイスには?」「スイスは要するに田舎っぺの集まり。自分でものを決められないから永世中立国と言って逃げている」「永世中立国と言ったって国民は細かく分かれ、同床異夢」「ナチスのユダヤ人虐殺から避難して来る人たちをしばしば追い返したではないか」「殺されたユダヤ人の遺産である預金を返済しない。おまけに脱税天国」…

実際、バングラデシュの独立戦争やベトナム戦争の戦場に来てまで、「自分を会計担当に」とワインを持って私の部屋に“買収”に来たスイス人もいた。「そんなに会計をしたいならジュネーブかベルンの銀行ででもやったら?」と若気の至りで軽口をたたいたが、ま、組閣の時に大蔵大臣に成りたがった政治家もいたなぁ、と思い出し、苦笑いして「当選を期待するよ」といってお引き取りいただいた。

それはともかく、ドイツ、フランス、オーストリアという長年厳しい対立関係にあった国々に囲まれて何とか中立を維持しようとしてきたスイス。EUに入らず、NATOに入らず、九州から長崎県を除いたくらいの面積の国土に、独、仏、伊、ロマンシュ語系の人たちが7:2:1:ごくわずかという割合で住み、同時通訳を使って国会審議をする。垂直移動による牧畜業に加えて、18世紀、フランスから難民としてやってきた人たちが始めた時計などの精密機器工業、象牙細工、チョコレート産業といった知識・技術集約産業をベースに、金融業、観光、そして兵器産業(地対地ミサイル・オネストジョンは自衛隊も常備)が国を支えている。


バチカンのスイス人衛兵

しかし、国際都市の典型ともいうべきジュネーブを離れ、地方の農牧業地帯に行くと、まさにハイジの世界。近代経済学からいうと決して豊かな地域ではなく、古くから傭兵として各地で戦った。最近でもアフリカの内戦などでは司令官は別としてスイス人の退役将校などが部隊を指揮しているのに出遭う。ローマ教皇庁(法王庁)では、ミケランジェロがデザインしたというド派手な衣装をつけて、衛兵を務め、観光客の格好のモデルになっている。それもそのはず、(私が真っ青になるくらいのイケメン)スイスから選り抜きの好男子が何百年も務めているんだから。いつもは観光客の整理をしたりしているが、先の法王選挙では枢機卿たちの通路を確保し、ドアを開けたりしていた。

それにしてもハイジの物語は約40カ国語に翻訳され、世界で5000万人が読んだとか。とりわけ日本では大人気。こんなあらすじだ。幼いころに両親を亡くし、5歳になるまで、叔母のデーテに育てられたハイジは叔母さんの仕事の都合で、スイスはアルムの山小屋に一人で住んでいるおじいさんに預けられることになった。そのおじいさんをはじめ、山羊づかいの少年ペータル、山羊のユキちゃん、ペーターの叔母さんなどなど、さまざまな人との出会いの中で、ハイジは成長して行く。そうしたストーリーが展開する中で、スイスの美しさ、住民の素朴な愛情、障害者への思いやり、人と動物との関わりなどが宗教色を抑えて描き出されているのが、特徴であり、感動の輪の広がりに繋がったのだと思う。

原作はスイスの作家ヨハンナ・シュビリ(1827~1901)。それが日本では1974年に全52話のアニメになって一時期、子供の世界を完全に包み込んだ。

「ハイジの村」は場内を周るロードトレイン、チューリップやカエデを中心とする広大な花壇、遊園地、そして甲斐駒ケ岳、鳳凰三山などの借景がまるでスイスにいるかのような錯覚を起こす気分にさせてくれる。

いささかスイス嫌いの傾向なしとしない私のような者にまで、この美しい風景には降参するほかない。そして至るところにスイスの国旗がはためいているのが、これまた私には微笑ましい。スイス人が見たら、もしかして「スイスよりスイスみたいだ」と言うかもしれない。スイスに「日本村」でもでき、「日の丸」がこんなにも集中して立っていたらとつい、思ってしまったからかな。

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