5月25日の三浦雄一郎さん(80)の,最高齢エベレスト制覇は近年ない快挙、ただただ拍手を送るのみである。早く頂上に立てたであろう「日の丸」とネパールの国旗の映像を見たいものだ。まさか、スポンサーと社旗などということはあるまい。
他方、5月28日付各紙によると、ネパール・ヒマラヤのダウラギリ1峰で東京の登山家、河野千鶴子さん(66)と見られる女性が行方不明になっている。ヒマラヤの高峰ダウラギリ(8167m)で行方不明になった登山家の河野千鶴子さん(66)=東京都練馬区=に同行していたシェルパの一人ダワ・シェルパさんは28日、「河野さんはダウラギリ登頂の意志を変えなかった」と語った。河野さんが所属する東京都勤労者山岳連盟の関係者によると、河野さんは出発前「今回が最後の8千m峰」と語っており、強いこだわりがあったとみられる。急激な天候の悪化は河野さんの疲労に拍車を掛けたようだ。ダワ・シェルパさんは「弱り切った河野さんに酸素を集中吸入させたが、力尽きた」と語った。
河野さんは7900mほどまで登り、スペイン人が滑落するのを見て下山を決し、疲労が重なり、7700m付近で動けなくなったとみられるという。
河野さんは、50歳を過ぎてから岩登りや沢登りを始め、1999年、初めてネパール・ヒマラヤにチャレンジした。その後03年、世界第6位の高峰チョーオユー(8201m)で初の8千m峰に登頂。本人は「登山前の3年間に5千、6千、7千m峰を登った成果」と振り返る。04年は憧れの世界最高峰エベレストの頂に立った。看護師として働きながら、8千m峰5座登頂。7大陸最高峰制覇も果たした。
トレーニングは10キロの荷物を背負って炊事や洗濯などの家事をこなすなど、日常生活で工夫した。
ところで、以下、話はぐっと情けない私事と相成ります。ご容赦を。
昨年、私は鳥海山(2236m)への登頂を目指した。秋田・山形県境の吹浦(ふくら)口からまず自動車で五合目までゆき、そこからがんばろうという話だ。吹浦観光協会がいろいろ親切に教えてくれたまではよかったが、
「鳥海山は初めてですか」の問いに、
「いいえ、秋田大学付属中学一年のとき、担任の藤原立宏先生の引率であっさり登れました」と電話口で胸を張る。
「ところで失礼ですが、お歳は?」
「71歳です」
「う~ん、最近どこに上りましたか?」
「ほとんど登ってません」
「お一人での鳥海山ですか?」
「はい」
「はっきり申し上げます。中高年の登山事故が増えています。おやめください。東京にお住まいならまず、高尾山、筑波山あたりに何度か挑戦してください。話はそれからにしましょう」。
それだけに、三浦雄一郎さんの快挙にあらためて敬意を表し、河野千鶴子の奇跡の生還を祈る。
続きは、北方領土と7大陸最高峰の話に続く。