安岡正篤とナチスの旗①

あらかじめお断りしておくが、私は以下、ナチスの旗(ナチス統治下のドイツ国旗)について論じるが、これは何ら政治イデオロギーに共感するものでもなく、ナチスに共鳴するものでもまったくない。

ナチス時代のドイツ「第3帝国」の国旗は、まず1931年にナチスの党旗となり、政権を獲得した33年から帝政時代のドイツ国旗(黒白赤の横三色旗)とともに国旗として扱われ、33~45年には、ドイツ(第3帝国)唯一の国旗となった。ナチスの党大会や36年のベルリンオリンピックの実写映画などでは、膨大な数のこの国旗が林立しているのを映画その他でご記憶の方も多いことと思う。とりわけ、女流映画監督のレニ・リーフェンシュタールによる2部作の記録映画『オリンピア』は、1938年のヴェネツィア国際映画祭で金賞を獲得する等各方面で絶賛され、映画として世界を席巻した。この映画の成功により、IOC(国際オリンピック委員会)は以後のオリンピック大会において、組織委員会にその都度、記録映画を制作することを義務づけることにまでなった。

国旗研究者として、当然、この国旗を無視することはできない。


ナチス・ドイツの国旗

8月にヨーロッパを訪問する私は、ここ数日、往時、諸先輩がどんな旅行記を遺しているか、横光利一の『旅愁』や安岡正篤(1898~1983)の『世界の旅』などにも目を通している。

中でも安岡の『世界の旅』は大戦突入寸前の欧州を視察した記録と安岡ならではの印象記であり、興味深い。

私の師匠・末次一郎先生が豊橋予備士官学校在籍中の教官であり、戦後は一貫して同志というべき関係でこられた渡辺五郎三郎先生の、そのまた師匠にあたる。安岡は1938(昭和13)年暮から約半年間、西欧、中欧、北欧、北米各地を訪ねた。その旅行記『世界の旅』は戦時中の1942(昭和17)年に上梓され、1994(平成6)年に黙出版から再刊されている。

欧州歴訪の時期は1937年11月の日独伊三国防共協定締結から1年余り、ヒトラーの絶頂期であり、日本もまたこの同盟の礼賛に夢中だった時期である。その中の一節を紹介したい。

昭和14(1939)年4月20日、スデーテンを過ぎて伯林に向ふ。此の日ヒットラー50歳記念全國祝賀行はる。

萬家棊布曲江長  萬家棊布して曲江長し
兩岸青林映水光  兩岸の青林水光に映ず
行見紅卍旗幟影  行くゆく見る紅卍旗幟(こうまんきし)の影
梟雄今日氣如王  梟雄(きょうゆう)今日、氣、王の如し

安岡は、ハーケンクロイツ(スワステカ)の旗に囲まれた梟雄、すなわち、「悪知恵のすぐれた強者(講談社『日本語大辞典』)
「残忍でたけだけしい人(岩波書店『広辞苑』)」が王のような気分でいるとヒトラーを断じているのだ。

見る人はちゃんとこの「暴君」を見ていたのだ。

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