ナチス時代のドイツ国旗
安岡正篤の『世界旅行記』(1942年初版)にはこんな一節もある。
1921年2月3日、(ナチスは)黨員大會を開いて黨旗を定めた。それが現在のハーケンクロイツ旗で、赤地の中央に白く丸を抜き、その中に卍を入れたものである。
ヒットラーの説明では、赤地に社會主義を、白の丸に國家主義を、ハーケンクロイツ Hakenkreuz にアリアン人種の勝利、と同時に創造的勞働の思想の勝利の爲の闘争の使命を現すのださうだ。
ハーケンクロイツは卍とばかり思つてゐたが、ドイツに來てしみじみ見ると卍である。
イギリスではスワスチカ Swastica といふ。
好事家の説を聞いてみたところが、隨分古代の發掘物に發見される模様で、紀元前1500年乃至2400年代の物と推定されるトロイの發掘品にも、更に古くペルシャのスサの古墳から出た陶器にも見えるさうである。動く太陽とか、8本の足を擴げた章魚の幾何的圖形化であるとか、色々の説があるが、恐らく泉から四方に水の流れてゐるであらうといふことであった。我々の方では卍をマンと讀み、漢字の一と思つてゐる者も少くなくないが、これは一の標相で、梵語で塞縛悉底迦(スヴアスチカ) Svastika といひ、吉祥・有樂・德相と譯する。之をマンとよむのは、吉祥萬德の集まる所といふ意味で、則天武后の時からさういふやうに用ひ始められたといふことである。
卍も東に現れると祥瑞となり、西に出ると闘諍肅殺の氣を帯びる。次回は日本におけるSvastikaを見てみよう。