7月28日、ソウルの蚕室球技場で行われたサッカー東アジア杯・日本―韓国戦で、日本のサポーターが旭日旗を掲げたことが、韓国側によると「歴史を忘れる民族に未来はない」と書いた超大型横断幕の掲示になったということだ。
東亞日報が提供したものを朝日新聞が8月1日付で転載したもの。
まず、旗そのものの話からすると、これの旗、戦前は、帝国海軍御国旗と言われたもの。円の中心が旗面の中心から6分の1旗竿側に寄っている。円の大きさは縦の2分の1。1889(明治22)年10月7日公布の海軍旗章条例(明治22年10月7日勅令第101号に基づくものである。戦後は海上自衛隊の旗として受け継がれている。
ちなみに、帝国陸軍御国旗は、日章の中心を旗面の中心に置き、制定は、1870年(明治3年)5月15日、「太政官布告第355号」による。
さて、この旭日旗を掲げた人たち、そしてこれを見た観衆のみなさん。日韓併合時、歴代の朝鮮総督の多くは陸軍軍人だったことはご承知のことと思うが、サッカー場で掲げられたのは旧海軍の旗であり、現在の海上自衛隊の旗であることを、ご承知だったのだろうか。さらには、韓国海軍と自衛隊との合同演習や相互訪問では今でも普通に使われている旗であり、韓国の海軍将兵はこの旗に相応の敬礼をしていることも御承知なのだろうか。
ただ、私個人としては、「日の丸」や旭日旗を掲げるにはTPOがあると思う。ソウルの蚕室(サムシル)球技場で、なにも理屈はどうであれ、韓国人が嫌がるデザインのものを掲げるのは百害あって一利なしではあるまいか。
もちろん、あの大きな横断幕は製作に大変な費用と時間がかかる。したがって、計画的に製作し、主催者をはじめ多くの人の協力で掲示しなくてはできないことだ。他方、旭日旗は、ある個人が持ちこんだものである(詳細は次回に)。既成の海上自衛隊旗(旧軍艦旗)を購入した可能性も高い。
それを同一視したりするほどFIFAの目は節穴ではあるまいが、ここで海上自衛隊旗を振るのはやめるべき行為だと思う。
1870年(明治3年)5月15日、「太政官布告第355号」により制定された「陸軍御国旗(陸軍御國旗)」(十六条旭日旗)。兵部省の考案。日章は旗面の中心。
1889(明治22)年10月7日公布の海軍旗章条例(明治22年)10月7日勅令第101号に基づくものである。戦後は海上自衛隊の旗として受け継がれている。二つの「御国旗」はウィキスペディアから転載したものであり、両者に色調の違いがあるかのような印象だが、これは色について厳格な規定がないことによる。