アフリカ南部のジンバブエには1980年代に何度か訪問したことがある。難民を助ける会の代表幹事(当時)として、首都のハラーレやモザンビークとの国境地帯に並ぶ難民キャンプを訪問したのだ。
ロバート・ムガベ大統領
旧来の支配者白人と独立を喜び、意欲的に国づくりに励む黒人とが、うまくバランスをとって、一見、英国の田舎風の街並みは私の好むところであった。親しくなったポルトガル系白人の農場でなんと18世紀末のブドウ酒をいただいたこともある。正直言って、決しておいしくはなかったが、私の好奇心は十分に満たされた。
そのジンバブエで7月31日に大統領選と国会・地方議員選挙の投票が行われ、公式集計結果が3日発表され、現職であり、与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)を率いるロバート・ムガベ大統領(89)が得票率61%を獲得して圧勝し、議会でも圧倒的多数の議席を獲得した。一方、対立候補のモーガン・ツァンギライ首相の得票率は34%と下馬評をかなり下回った。この結果に選挙が不正に行われたと、国際社会派厳しい目で見ている。
ムガベ大統領は、1980年にジンバブエが英国から独立して以後33年間、同国トップの地位にある。最高権力者の座を維持するのか、平和的な政権交代が初めて実現するかが焦点であったが、選挙結果は、どうやら「不正による選挙操作で現職のムガベ大統領が圧勝」ということになった。89歳とはいえ、意気なお盛んで、去る6月には横浜でのTICAD5(代5回アフリカ開発東京国際会議)にも、遠路、出席した。
しかし、ムガベ大統領はこれまで途方もないインフレをはじめ数々の経済危機を経験し、また、不正選挙や残忍な弾圧を行って独裁的地位を確立・維持して来たが、ジンバブエは国連からは制裁を受け、世界から孤立してしまった。
これまで大統領選で3度ムガベ大統領に挑んだが果たせなかったツァンギライ首相(61)は、今回の選挙は「不正に操作された」と非難している。この人が首相であるのは、同首相は同大統領に反逆罪の容疑で拘束されたり不当な扱いを受けてきたが、同氏が率いる民主変革運動(MDC)が、4年前、妥協の産物としてムガベ大統領に形の上で協力してきたからだ。
以下は、畏友・内藤泰朗ロンドン支局長による産経新聞(8月1日付)の記事(一部)。
ジンバブエ政府は各国大使館やアフリカ連合(AU)の選挙監視は認めたものの、国連や欧州連合(EU)などの監視団受け入れを拒否。アフリカ諸国の監視団団長を務めるタンザニアのメンベ外相は投票を前に、ジンバブエ当局が約640万人とされる選挙人名簿を公表せず、選挙人の重複や死亡者を名簿に加えるなど、大規模不正への懸念を表明した。
同国では3月、大統領任期を1期5年で2期までと規定した新憲法を国民投票で承認。新たな憲法の下での初めての選挙となる。新憲法下ではムガベ氏は99歳まで務めることが可能だが、7月30日、不正疑惑を否定し、敗北の場合は引退すると表明した。
2008年3月の大統領選では、ツァンギライ氏がムガベ氏を抑えて首位に立ったが、反ムガベの野党勢力の約200人が弾圧により死亡したため、ツァンギライ氏は決選投票から撤退。ZANU-PFとMDCは09年2月、南アフリカの仲介で連立政権を樹立、外貨流通を解禁して年2億%以上のインフレに陥っていた経済は改善された。