降伏の白旗 – NHK大河ドラマ「八重の桜」に

奈良時代に各地の事情を報告する書類として作成された『風土記』。写本としてであれ、現存する5つの『風土記』の1つ『常陸国風土記』の行方郡の話に、降伏の意を示すため「白幡」を掲げたという記述がある。すなわち、芸都の郷でヤマトタケル(日本武尊)が反抗するキツヒコとキツヒメが降参した際、ヤマトタケルはキツヒコをその場で殺害した。これを恐れたキツヒメが「白幡」を掲げて迎え、頭を下げたという。キツヒメはこれによって降伏を認められ、許されて、大和朝廷に仕えることになった。これが日本の文献で「降伏の意を示す白旗」の初出である。


明治元年9月22日、会津・鶴ヶ城に掲げられた「降参」の旗。
これによって約1か月続いた籠城戦が終わった。

NHK大河ドラマ「八重の桜」では城に立てこもった藩士の女性家族たちが有り合わせの白い布を縫い合わせて作った白旗に、稲森いずみが演ずる照姫(会津藩主・松平容保の義姉=正室の姉)が「降参」と書いたものを掲げたとなっている。

したがって、1853年、ペリーが来日して「白旗」を渡し、反抗する意のないときにはこれを掲げよと幕府の使いに申し付けた時のはるか以前から、日本にも白旗(白幡)は戦時にあって降参、降伏、反抗の意思のないこと、軍使であることなどを示すなどの意味でつかわれていたことが明らかだ。いずれさらに詳しい経緯を紹介したい。

世界の国旗では、白一色はフランスのブルボン王朝時代の国旗であり、イスラム過激派タイバーンの旗印(しばしば『コーラン』冒頭の聖句を書き込む)である。単色の国旗としてはカダフィ時代のリビアの国旗であり、また、ソ連の国旗はソ連邦が結成された1921年からかなり長期間にわたって表面は黄色の鎌と鎚で裏面は赤一色のものを常用していた。

私見だが、これはおそらく製作上の理由が大きかったのではないだろうか。裏まで旗布を染めることのむずかしさ、縫い合わせるとしても鎌と鎚は意外に刺繍も簡単ではないこと、貼り付けて掲示する場合には裏面に意を用いなくともいいこと、「赤旗」自体が、ソ連共産党のシンボリックな旗であることなどによるものだったのではあるまいか。

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