赤十字の誕生につながった激戦地ソルフェリーノ

8月11日、北イタリア・ガルダ湖南端に突き出た保養地シルミヨーネにも寄った。

1859年6月24日、そのすぐ南の低い岳稜地帯ソルフェリーノで1日に4万人もの死傷者という、19世紀最大の激戦が行われた。イタリア半島の統一のため、北イタリア地方を支配するオーストリア軍を駆逐しようとするヴィットリオ・エマヌエーレ2世麾下のサルデーニア王国軍と、それを応援するナポレオン3世率いるフランス帝国軍の連合軍が、フランツ・ヨーゼフ1世が統率するオーストリア帝国と対峙したのだ。


サルデーニア王国の国旗

フランス第2帝国時代の国旗

オーストリア帝国の国旗

ヴィットリオ・エマヌエレ2世(1828~78)

ヴィットリオ・エマヌエレ2世(1828~78)

フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916)

  


赤十字社赤新月社連盟の標章

ソルフェリーノの隣町カスティリオーネのキエザ・マッジョーレ(大教会)で救護のあたるアンリ・デュナン(1828~1910)(日赤の教材から)

スイスの青年アンリ・デュナン(1828~1910)はたまたま隣町のカスティリオーネにさしかかり、寝食をわすれて救護活動を行ったことが、赤十字の創設とジュネーブ条約の締結になり、第一回ノーベル平和賞受賞者となった。


ソルフェリーノの戦いに臨むナポレオン3世

『私のアンリー・デュナン伝』(学研)の著者で、赤十字最高勲章であるアンリー・デュナン賞の受賞者である恩師・橋本祐子先生に引率され、1979年以来だから、ほぼ35年ぶりに、ソルフェリーノのサンマルティンの塔を遠望した。このあたり、今も昔も何事もなかったかのように糸杉が林立して美しい光景だ。以前かの地の緩やかな丘陵に立った時、正直に言うと、日頃平和を唱えている私のはずだが、ラッパと太鼓がなると、白馬に跨り、軍刀を振りかざしつつ「ものども続け~!」と叫びたくなる19世紀の将軍になったような気分になった。そして乗馬のままサンマルティンの塔にかけ上り、眼下に大会戦を眺めつつ、各部隊に進攻の命令するのだ。

私のなかのアンビバレントな価値観に、35年前、奇妙な興奮を感じたものだった。

カスティリオーネでの救護活動を濫觴とする赤十字の標章が、デュナンの祖国スイスの国旗の色を逆にしたものとなったのは、今や周知のことであろう。さらに詳しくお知りになりたい方には、以下の3書をお勧めしたい。

橋本祐子『私のアンリー・デュナン伝』(学研)
アンリー・デュナン(寺家村 博訳)『ソルフェリーの記念』(私が長文の解説と関係の図版、肖像画の収集などを担当。メヂカルフレンド社)
吹浦忠正『赤十字とアンリ・デュナン』(中公新書)

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