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国旗についての物語
弔旗としての「日の丸」の掲げ方①
「大喪中ノ国旗掲揚方(けいようほう)」という閣令が今も有効である。これは、天皇の崩御に伴う国旗の掲揚の仕方について定めた日本の閣令であり、「大正元年閣令第1号」という立派な番号が付されたものだ。 大喪中ノ国旗掲揚方ぼ付図 1999年8月13日施行... -
国旗についての物語
「日の丸」が全国に普及したのは西南戦争から
明治10(1877)年9月、西南戦争で西郷軍配線の報を得た政府が、全国の各戸に国旗を掲げ、政府軍の戦勝を祝すよう、各道府県に通達した。 東京では正月にこのように「日の丸」が掲揚される。この写真は表参道。ほかに銀座、青山、六本木、赤坂などで町会や... -
国旗についての物語
鉄道開通で始まった「日の丸」での祝意
明治政府は明治3(1870)年、2つの太政官布告で、商船に掲げる国旗と軍艦に掲げる国旗を制定した。それぞれ縦横比や円の位置が違うことについてはこれまでも触れたし、いずれさらに詳しく述べたい。 それが一般も使用してよいようになったのは明治5(1870... -
国旗についての物語
国旗のある風景 – 朝鮮半島で初めての鉄道
朝鮮半島での鉄道敷設については、19世紀の後半、アメリカのモースがこれに着手しようとしたが、米国内で出資者がなく、結局、渋沢栄一が実行することになった。その結果、まず、1899年9月18日、漢江西岸の鷺梁津から済物浦(仁川)間が開業した。 この写真... -
国旗についての物語
「日の丸」の掲揚はほどなく自由となったが
1949年1月1日、連合軍最高司令官マッカーサー元帥は、「国旗の無制限掲揚許可に関する総司令部覚え書き」を発し、これによって、日本国民はいつでも自由に「日の丸」を掲げ、使用することが出来るようになった。しかし、国民の反応は、このときまでに愛国... -
国旗についての物語
国旗国歌法以前の国旗に関する法令
1999年8月13日施行の「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)制定までの間、「日の丸」に反対を表明する人たちが一大勢力として存在していた。日本教職員組合、日本社会党、日本共産党、朝日新聞などは、「日の丸」の国旗としての法的正当性に異を唱え、... -
国旗についての物語
戦後の「日の丸」掲揚禁止と代用の旗について②
敗戦直後の9月16日、米太平洋艦隊連絡団覚書が日本側に通達された。これは、日本船籍を示す商船旗としては常に、国際信号旗のE旗の先端を三角形に切り取った旗を使用するようにという内容であった。これでは遠くから見たら、フィリピン、さらにはハイチや... -
国旗についての物語
戦後の「日の丸」掲揚禁止と代用の旗について①
第2次世界大戦に敗れた日本は、ダグラス・マッカーサー元帥を頂点とする連合国軍総司令部(GHQ)の支配下にはいった。 この日本商船管理局の旗が占領下のわが国の船舶には「日の丸」に変わって掲げられた。 フィリピンの国旗としばしば間違われたに違いな... -
国旗についての物語
占領期の北朝鮮国旗の掲揚運動<Ⅴ>
孫 文圭朝鮮大学校教授の講演録、最終回である。 北朝鮮の国旗 国旗掲揚事件の犠牲者への救援活動 禁止命令の不当な適用に対して直ちに幅の広い抗議運動が生まれました。国旗禁止命令が出された翌日の10月9日にすでに、朝連中央の代表が対日理事会の各国代... -
国旗についての物語
占領期の北朝鮮国旗の掲揚運動<Ⅳ>
孫 文圭朝鮮大学校教授の講演録を続ける。 北朝鮮の国旗 各地の国旗掲揚闘争とそのヴァリエイション 最後に、各地の闘争について簡単に触れておきたいのです。 マッカーサーの厳しい禁止命令のもとでも、在日同胞たちは国旗掲揚闘争を引き続き展開していき... -
国旗についての物語
占領期の北朝鮮国旗の掲揚運動<Ⅲ>
孫 文圭朝鮮大学校教授の講演録を続ける。 北朝鮮の国旗 禁止命令の違法性 禁止命令が実行されるなかで、たくさんの問題点が提起されています。例えば、京都米軍政部より命令を受けた現地の日本関係者は、これは法的に疑わしいという反応を示したのです。... -
国旗についての物語
占領期の北朝鮮国旗の掲揚運動<Ⅱ>
孫 文圭朝鮮大学校教授の講演録を続ける。 北朝鮮の国旗 慶祝代表団の派遣 次に、こうした慶祝運動のなかでもう1つ大きな特徴が、共和国創建慶祝代表団をピョンヤンへ送る運動も盛り上がっていきました。これは136回中央常任委員会の「慶祝代表団を祖国に...