エチオピア連邦民主共和国

エチオピア連邦民主共和国の国旗
首都アディスアベバ
言語アムハラ語
人口82,825,000人(2008)
面積1,127,127km²

解説

アフリカ最古の独立国。

『旧約聖書』にも登場し、紀元前10世紀頃、ソロモン王とシバの女王の子息メネリクにより建国されたとの伝説がある。

緑黄赤はエチオピアの伝統的な宗教色ではあるが、国内の3つの地方、シオーハを緑で、アムハラを黄色で、チグレを赤で表すとの説明も、また、大地と希望を象徴する緑と、自然の豊かさ、平和、愛を表す緑、愛国者の血と信仰を象徴する赤とも言われている。

さらには三色で虹を表しているとの記述もある。

1960年は「アフリカの年」といわれ、その前後に多くの独立国が誕生したが、この最古の国の国旗の3色を「汎アフリカの色」とし、いつの日にか統一することを理想とし、多くのアフリカの国々がこの3色の組み合わせの国旗を採択した。

しかし、歴史的経緯や複雑な部族対立、さまざまな言語といった理由から、この理想は依然、「夢」のままである。

それでも、アフリカ連合(AU)の本部がエチオピアの首都アディスアベバにおかれるなど、エチオピアが各国協調の中心になっている。

そこで思い起こすのは、皇帝として1941から第2次世界大戦をはさみ、74まで在位したハイレ・セラシェと、この皇帝を現人神として崇めたジャマイカの音楽家でレゲエミュージックの確立者ボブ・マーレーのことである。

ボブ・マーレーは皇帝を黒人のアフリカ回帰と職員地解放のシンボルとして崇拝した。

当時、ジャマイカにはラスタファリアニズム(ラスタファリはアイレ・シェラシエ皇帝の別名)運動が盛んで、この運動ではエチオピア国旗の色である緑黄赤の三色が運動を象徴する色として活用された。

1897年に、緑黄赤の横三色旗が採択され、爾来、イタリア占領時代(1936~41)を除いて、この三色旗が使われてきた。

現在の国旗は、連邦民主共和国が成立した翌年の1996年に制定されたもので、中央のしるしは「ソロモン星」。

民族、集団、信仰、性の違いを超えて、全てのエチオピア人が平等であることを意味している。

緑、黄、赤の三色旗はメネリク2世(在位1889~1913)にまで遡り、1895年の第一次エチオピア戦争(アビシニア戦争)で初めて国旗として用いられ、この旗の下で、イタリア軍の進攻を阻止した。

1930年11月2日の戴冠式で正式に帝位に就いたハイレ・セラシェ(1892~1975)は、同帝国最後の皇帝として、日本とも深い関係にあったが、 1974年9月12日に退位を余儀なくされ、亡命。

それまでの国旗の中央についていたライオン(The Lion of Judah)が取り除かれた。

エチオピアはその後1987年に人民民主共和国、ついで1995年には連邦民主共和国となり、今日に至っている。

中央の「ソロモンの星」は1996年2月6日に採択、同年7月19日開会のアトランタ・オリンピック(近代五輪100周年記念)で世界に紹介された。

とりわけ28日に行われた女子マラソンで、下馬評に上がっていなかったファツマ・ロバがエチオピアの新しい国旗を胸に見事な優勝を遂げたことで、国旗も世界に祝福されたような印象であった。