ケニア共和国

ケニア共和国の国旗
首都ナイロビ
言語スワヒリ語、英語
人口39,802,000人(2008)
面積582,650km²

解説

15世紀の末以来、インド洋の港町モンバサを中心に、アラビア人を駆逐したポルトガルが勢力を伸ばした。

その後、イギリスが進出、1895年に保護領とした。

1950年代から急速に独立運動が激化し、1963年12月12日、英連邦内の共和国として独立した。

この日の午前零時を期し、国内最高峰のケニア山頂にこの旗が劇的に掲げられた。

時の指導者は1年後に初代大統領となったケニヤッタ。

その名のいわれは“燃える槍”の意とか。

国旗の2本の槍がこの指導者を連想させるが、自由の守りを象徴している楯ともどもマサイ族の武具である。

黒はケニア国民を、赤は自由のための闘争を、緑はケニアの農業と天然資源を、白は統一と平和を表わしている。

就労人口の7割が農業従事者であり、コーヒーや紅茶の輸出が盛んで、これが経済を支えている。

この国旗は垂直掲揚してはならないと規定されている。

赤白黒緑は通常はイスラムの色とされるが、ケニアの場合は、世界黒人開発協会アフリカ社会連合(UNIA-ACL)」の旗と同じ配色になったのである。

UNIA-ACLは、黒人による民族自覚意識の啓発者であり、アフリカ回帰運動の指導者としてジャマイカの国民的英雄マーカス・ガーベイ(Marcus Mosiah Garvey, 1887~1940)により1914年にジャマイカで創設された団体。

その主張は、後にネーション・オブ・イスラム、ラスタファリアニズム、そしてキング牧師らによる公民権運動にまで発展した。

したがって、ガーベイは、オバマ大統領誕生への道を100年近く前に拓いた人ともいえよう。1962年に採択されたケニアの国旗もこの汎アフリカ旗の強い影響を受けたデザインである。