首都 | トビリシ |
言語 | グルジア語 |
人口 | 4,260,000人(2008) |
面積 | 69,700km² |
解説
グルジアは英語ではGeorgia(ジョージア),白地の赤い十字というイングランドの守護聖人セントジョージ(聖ゲオルギウス)十字に起源を有するデザインである。
古い歴史があり、13世紀にバグラティオニ朝グルジア王国の旗として使用されたとか、14世紀にモンゴルの支配を脱しようとギロルギ(ゲオルグ)5世(光輝王)がこの旗を掲げて奮闘したという言い伝えがある。
グルジア正教と呼ばれる東方系のキリスト教の国。
1918年からソ連に編入されるまでの約3年間、グルジア民主主義共和国と称していた時期にもこの国旗は使われていた。
さらに、ソ連邦の崩壊過程でもこの国旗は見られたが、1991年12月の同解体では、別のデザインであった。
すなわち、1990年から2004年までは、カントン(竿側上部)に黒と白の帯を付けた臙脂(ワインレッド)地の国旗だった。
黒と白は19世紀の初め、ロシアに抵抗した時の旗に由来し、臙脂は過去および未来のよき時代を、黒はロシア帝国による暗黒の統治を、白はそこから脱したことと、平和への希望を表すとされていた。
最近のグルジアはロシア系住民が多く、ロシアが自国領に編入すべきだとする南オセチア、アブハジアの帰属を巡ってロシアと軍事衝突(2008)し、北京五輪開会式直後にプーチン首相(当時)文字通り、踵を返してその指揮にあたったことで注目された。
話は前後するが、1999年に議会は現在の旗への移行を決議したが、当時のエドゥアルド・シェワルナゼ大統領(元ソ連外相)の拒否により実現しなかった。
しかし、2003年11月の「バラ革命」で、ミヘイル・サアカシュヴィリ領率いる「国民運動」の党旗として使われ、シェワルナゼがバラ革命によって辞任した後、2004年1月14日に議会でこの国旗が再び可決、サアカシュヴィリ新大統領が承認、国旗として正式に採択された。