ミクロネシア連邦

ミクロネシア連邦の国旗
首都パリキール
言語英語
人口108,155人(2004)
面積702km²

解説

アメリカとの戦争(米西戦争)後の1899年、スペインがドイツに売却した。

第一次世界大戦が始まった直後に日本軍が占領、戦後は国際連盟の委任統治領となり「南洋群島」とし、パラオの南洋庁の管轄下に置いた。

日本人居住者は最大時85,000人を超え、現地人をはるかに凌駕した。

国際連盟脱退後の日本は世界最大級の環礁であるトラック諸島を中心にこの地域の軍事化を急速に進め、日本軍の最重要拠点の1つとした。

これに対し1944年2月、米軍が猛攻撃を開始し、日本軍は力尽き相次いで玉砕した。

戦後、国連はミクロネシア地域を6つの地区に分け米国の国連信託統治領としたが、1978年7月、ミクロネシア憲法が起草されたが、6つの地域のうちマーシャル諸島とパラオでは住民投票で否決されて、分離独立への道を歩み、ミクロネシアに残留した4州のみで1979年に自治政府が発足、日系のトシオ・ナカヤマ初代大統領となった。

1986年、米国に安全保障を委託するという形で自由連合協定を結び、事実上、独立国となり、90年12月、安保理が信託統治終結を決議した。

国旗は1986年に制定。

東西2500kmの海上に広がる950もの島々から成る国だが、現在の呼称で言うとコスラエ、チューク(旧トラック)、ポンペイ(旧ポナペ)、ヤップの4州から成っている。

国旗の星はその4州を表わす。

星の配置が十字形なのは、キリスト教が盛んなことと南十字星を表わし、青と白は国連との関係の深さを表わす。

日本との関係では、実業家・森 小弁(1869~1945)の活躍が有名である。

現在のチューク州チューク諸島で活動し、現地の酋長の娘と結婚し、トル島(旧水曜島)の大酋長も務めた。

また、一世風靡の演歌師・石田一松の作詞作曲でうめ吉が歌ったミリオンセラー『酋長の娘』や少年倶楽部の連載で全国の少年たつを興奮させた島田啓三の絵物語『冒険ダン吉』のモデルとも言われている。

森の一族は現地で3千人とも言われ、現在のマニー・モリ大統領のは森小弁のひ孫にあたる。