第二次世界大戦初期から冷戦の終結まで(1939~91)の約50年間、ソ連共産党の一党独裁によって制圧されてきたバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)や戦後、傘下に治められた東欧諸国では、「鎌と槌」(ロシア語серп и молот)や「赤い星」などソ連や共産主義への嫌悪感が強く、「鉤十字」などナチスドイツの標章を禁止しようという提案が出てきた時、合わせてこれらの標章を法的に禁止する動きさえある。
ナチス・ドイツが採択した国旗「鉤十字旗」
1923~91年のソ連の国旗
しかし、西欧各国の共産党やロシアの反発があったほか、「鉤十字」(サンスクリットのスヴァスティカ(卐、逆鉤十字)。英語の swastika やフランス語の svastika もこれに由来。Hakenkreuzはドイツ語)の禁止と「鎌と槌」の禁止を進めようという動き自体が盛り上がりに欠け、結局、双方とも実現していない。
但し、1993年以後のハンガリーで「鎌と槌」の使用と掲揚が、法律で禁止されたのを端緒とし、2007年以後、バルト三国が相次いで「鎌と槌」の使用と掲揚が禁止された。なお、ポーランドでも「鎌と槌」を禁止する法律が提案されたが、未だ国会で可決されるには至っていない。