国旗で見る国標② ハイチ「団結は力なり」

ハイチは西半球ではアメリカ合衆国に次いで、2番目に独立した国。宗主国フランスでナポレオンが欧州に専念し、ハイチどころではない、ハイチにまでは目が届かない状況であった1804年のことだった。歴史上最初の黒人共和国といっていい。


ハイチの国旗

ハイチの国章

ただ、中南米で独立は早かったが、政治的混乱も続き、その後の開発や発展は著しく遅れ、今日では西半球の最貧国である。

加えて、今から4年半ほど前の2010年1月、マグニチュード7.0という大地震で、31万人もの人々が亡くなり、膨大な被害と経済的損失を出した。

ちなみに私が特別顧問をしている認定NPO法人難民を助ける会はそのすぐ後から首都ポルトープランス(原意は王子の港)に2名以上の駐在員を常駐させ、救援と復興にあたっている。

ハイチの国旗は正式には国章が付く。国内ではしばしばそれを省略した青と赤だけものを使っているが、それでは1936年のベルリン・オリンピックでリヒテンシュタインと同じ国旗になってしまうということで、以後、リヒテンシュタインは公冠をつけ、ハイチは国章を付すことで、両者の混同がないようにした。

国章の下部のリボンにはハイチの国標をフランス語で書いてある。L’Union Fait La Force(団結は力なり)。この言葉の淵源は私にははっきりしないが、国標として実にふさわしいように思う。

思い出すのは、中国の共産革命宣伝ミュージカル映画「東方紅」の中にある「団結は力なり」という曲。資料によると由牧虹作詞、卢肃作曲により戦時中の1943年6月に発表されたもので、「東方紅」の映画そのものは1965年9月、つまり「文化大革命」の開始直前の製作である。「社会主義中国の建設」に力点のあるミュージカルだ。

ネットで見ると、このミュージカル映画の第五幕「蒋介石王朝の終焉」には、次のシーンがある。<アメリカと結び付いた国民党政府に支配される上海で、自由と平等と民主主義を求めた人々は、収容所(らしき場所)に押し込められていたが、彼らは自由への願いとそれに向けた団結を歌い始め、それは本当に「力」になり…>。

左右対称(シンメトリー)のハイチの国章にはほかに、「自由の帽子(フリギア帽)」を被った椰子の木を中心に、緑の芝生、カノン砲、国旗が展示され、さらにスネアドラム、ブグル、ロング・ガン、船の錨などの道具が描かれている。断ち切られた鎖は奴隷制を打ち破ったことを表わしている。

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