フィデル・カストロやチェ・ゲバラは1959年1月1日に、時のキューバのバティスタ大統領を国外逃亡に追い込んだ。そして、軍事法廷で銅大統領政権関係者を裁き、約550人を処刑した。その後、急速に主要産業の国有化や集団化を進め、中・上流階級の多数の人々がフロリダなどアメリカ各地に亡命した。
折からの冷戦構造のもとで、革命政権はソ連に接近し、60年に外交関係を樹立、キューバ政府は国内の米系企業の排除に努め、石油精製、製糖、電話、銀など金融系企業を国有化した。
1961年、アメリカ政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。
米ソは62年、「キューバ危機」というあわや第3次世界大戦という緊迫した次期を経、地域的冷戦関係は今年まで継続した。キューバの野球選手が大リーグ入りするには、国籍を捨て亡命するほかなかった。
それが今回、ローマ法王庁とカナダ政府の仲介で、きが熟したとうべきか、タイミングよく、国交正常化交渉を進めることに合意した。
さて、国旗だが、キューバの国旗は建国以来、変わっていない。これほどの革命がある場合、中南米に限らず、中東やアフリカでは必ずと言っていいほど国旗が変わる。インドシナ3国、ミャンマー、アフガニスタン、イラクなどがその好例。
それでも変わらず、しかも、アメリカの国旗の影響を受けたデザインである。これはどこかにアメリカと完全に敵対しないというシグナルを秘めた政権運営ではなかったのか。
48星条旗
49星条旗
キューバ革命当時のアメリカの国旗は48星、それがアラスカの州昇格により59年7月4日の独立記念日から49星に、そしてハワイの州昇格により60年の同日から、現在の50星の「星条旗」になった。
両国為政者の慎重かつ勇気ある対応で、55年に及ぶ大きな危機の時代を乗り越えてほしいものだ。