米国旗「星条旗」は独立戦争時にフィラデルフィアで裁縫名人といわれたベッツィ・ロス(Betsy Ross 1752~1836)という女性が器用に五稜星を裁縫で作って見せたことが始まりだと言われている。
ベツィ・ロス
初代大統領ジョージ・ワシントンらが直接頼んで考案した様子は、記念切手にもなっているが、詳細な日常記録を残しているワシントン側に書いたものがなく、歴史的事実かどうかは確認されていない。それでも、アメリカでは「星条旗」を最初に作った人として、生家は観光名所にもなっている超有名人。
旗面の星の数は独立時の13州を表す13個から、新たな州が連邦に加わるたびに増やされて現在に至っている。配列はその都度工夫されており、いっていの規則はない。このため「星条旗」は世界で最も変更回数が多い国旗ということが出来よう。現在の50星の「星条旗」はハワイが州に昇格した翌年、1960年7月4日(独立記念日)からのもので、2007年7月4日にこれまでの記録を抜いて最も長期間継続しているデザインとなった。48星の「星条旗」はアリゾナ、ニューメキシコの州昇格に伴い1912年から使用され、アラスカの州昇格で49星になる1959年まで47年間続いた。
ベツィ・ロスの製作した「星条旗」。
この国旗は1777年6月14日から、95年5月1日まで、18年(215ヶ月)使用された。
「星条旗」の成立についてはアメリカス学会で和田光弘名古屋大学文学部助教授が行った概要以下の通りの発表がすばらしいので、それを紹介したい。
星条旗の誕生
ニューヨーク州立大バッファロー校で、アメリカ史を学ぶ学生たちに1975年から1988年に行った、独立戦争から南北戦争までで大統領、将軍、政治家を除いて、アメリカで思いつく有名人を10人挙げなさいという調査によると、ベッツィー・ロスという女性が、常に一位にあげられた。その理由は、彼女は1776年に最初のアメリカの国旗を作ったといわれるからである。しかし彼女の名前は、アメリカ史の教科書に一切でてこない。その理由は、彼女が最初のアメリカの国旗を作ったということは、歴史上資料によって証明されていないからである。
それでは、なぜベッツィー・ロスが、最初のアメリカの国旗を作ったといわれるのか…。それはベッツィー・ロスの孫のウイリアム・キャンビーが11歳の時に、直接彼女から「自分の夫の兄で、大陸軍の軍人であったジョージ・ロスが、アメリカの国旗を作る必要性を痛感していたジョージ・ワシントンの意を受けて、ジョージ・ワシントンと独立戦争の財政を担当していたロバート・モリスと一緒に、自分に、アメリカの国旗を作るよう頼みにやってきた。そして、自分が旗のカントンの部分に、13個の五芒星を円形にあしらった国旗を作ったのである」というのを聞いたと1870年に、証言したからである。しかしこの伝説は、文書の形の証拠として残っていなかった。だから歴史学者たちは今日まで、ベッツィー・ロスの孫が、この伝説を捏造したとみなしてきた。
独立戦争当時、アメリカでは、国旗が国作りに必要とは考えていなかった。植民地時代、アメリカでは政府の建物には『ユニオンジャック』と呼ばれるイギリスの国旗が掲げられていた。が、各植民地はそれぞれの旗をもっていた。各州の民兵たちは軍隊への帰属意識を高めるために、『連隊旗』を掲げていた。植民地時代の人々にとって旗というものは、日常の生活に密着していなかった。しかし独立戦争とともに、各植民地のシンボルが重要になった。ヘビ、自由の柱、松ノ木、赤と白のストライプが交互に9本並んだ抵抗のストライプなどが有名である。この抵抗のストライプが、星条旗の13本の赤と白のストライプの原型になったようだ。
独立戦争が拡大し、植民地共通の旗の必要性が叫ばれ、できあがったのが『大陸旗』である。カントンの部分にイギリスの国旗が組み込まれ、残りの部分に13本のストライプが組み込まれた旗である。カントンの部分にイギリス国旗が組み込まれていたことは、植民地の指導者たちが、イギリスからの独立だけを考えていたわけでないことを示している。『大陸旗』が陸においてはいくつかの軍事施設、海では主に艦船に掲げられたが、陸では各州の民兵たちはそれぞれ独自の『連隊旗』をもっていたので、『大陸旗』の役割は軍艦の識別だった。やがてアメリカでは新国家の象徴として『国璽』のデザインのための委員会が作られた。
新国旗の制定を強く主張した人々に、フィラデルフィアの商人たちと先住民たちがいる。先住民たちは旗というものが自分たちを象徴し、力を表すと思っていた。大陸会議は、今日『Flag Day』となっている1777年6月14日に、「合衆国国旗は赤白交互の13本のストライプからなり、カントンには青地に白色の星座をつくるべし」という決議を行った。この決議をした議員たちは、カントンの部分の白色の星の円形の置き方について共通理解があったといわれる。カントンの部分に13の白色の星を円形に並べたデザイナーがフランシス・ホプキンソンという人物であったことはわかっている。
新国旗制定の記事がアメリカ各地の新聞に掲載されだしたのは、2か月たってからだった。やがて新国旗は『条星旗:Stripes and Stars』と呼ばれ、星よりもストライプの方が重要とみなされていた。当時、アメリカでは国旗よりも、ジョージ・ワシントンの人型や鷲がシンボルとして有名だった。新国旗が有名になったのはフランシス・スコット・キーが1814年に『星条旗』という愛国歌を作詞したからだった。その後、南北戦争で新国旗は「市民宗教」の最高位に登りつめた。国旗崇拝の運動が高まり、1880年代から20世紀初頭にかけて、国旗はアメリカのすべての公立学校に置かれ、『忠誠の誓い』で称えられた。1924年の全国国旗会議で、国旗の礼式に関する民用規定が決まり、星条旗のデザインが確定、星条旗がアメリカ国民の愛国心の中枢に位置するようになった。
最後に、ベッツィー・ロスが「有名人」として挙げられる理由は、『星条旗』という国のシンボルを生み出した母なるイメージ、いわゆる『聖母マリア』的なイメージを持っているからかも知れない。史料によって実証できないが、実証できなくとも歴史的に大きな役割を担っていることを示しているといえる。
(まとめ 辰巳斉彦)