24種類の「星条旗」を体験した男 – タウンゼント・ハリス米駐日領事

日本と深い関係にあったアメリカ人で、ペリー提督よりももっと多くの「星条旗」を体験した人がいます。日米和親条約第11条に記された駐在領事に初代として就任したタウンゼント・ハリス(1804~78)です。ハリスは1856年8月21日、下田に到着、玉禅寺に領事館を開き、31星の「星条旗」を掲げました。

ハリスは以後、約6年間、下田と後には江戸に滞在し、 1862年4月26日に離日しました。

ハリスの73年間の人生ではなんと24回も「星条旗」デザインが変わったのです。すなわち、1804年10月3日、ニューヨーク州サンディ・ヒルに生まれた時は、その9年前にケンタッキーとバーモントの両州が出来、「15星15条」の国旗でした。その後、どんどん州の数が増え、亡くなった1878年2月25日には、コロラドの州昇格で前年の7月4日(独立記念日)にできた「38星13条」の「星条旗」でした。


タウンゼント・ハリス領事

ハリスは、1846年、ニューヨークの教育委員長に就任、翌47年、ニューヨークに「フリーアカデミー」(現在のニューヨーク市立大学シティカレッジ)を創設した人物としても知られ、現在も同シティカレッジの図書館には、ハリスが作らせたmade in Japan最初の「星条旗」が陳列されています。

ハリスは1856年8月21日、下田に到着、玉禅寺に領事館を開き、31星の「星条旗」を自ら掲げました。その後、日本に滞在した6年間にハリスは4つの「星条旗」を掲げたのでした。


31星(1851~58)

32星(1858~59)

33星(1859~61)

34星(1861~63)
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