チリはアンデス山脈の西側に伸びる国。国土は南北に約4300kmもありながら、面積は日本の半分以下という細長い国です。そのアンデス山脈の頂上は万年雪でおおわれ、インディオがそれを「チレ」と呼んだのが国名になったのでした。
1541年、南米大陸のアンデス山脈の西側に伸びるこの地方は、インカ帝国をほろぼしたスペインによって支配されました。しかし、本国スペインがフランスのナポレオンへの対応に追われる中で、1810年に独立を試みましたが、ペルーの軍に敗れて失敗、1818年にようやく独立を達成しました。
その時の有名な戦いが1817年の「チャカブコの戦い」です。国旗は、その戦いで活躍したアメリカ兵オイギンスがアメリカの国旗「星条旗」から色をとってデザインしたという説が有力です。
赤は独立戦争の時の血、白はアンデスの雪の荘厳(そうごん)さ、青は空の清らかさ、星は国家統一のシンボルです。
その約200年後、北部の鉱山で大きな落盤(らくばん)事故がありました。世界中の人たちが見守る中、懸命(けんめい)な救援活動が69日を迎えた時(2010年9月7日)、最初の作業員が救出用カプセルで地上に出てきました。テレビにチリの国旗が映し出され、私は思わず涙ぐみ、「ビーバ・チレ(チリ万歳)!」と小声で叫び、拳(こぶし)を握っていました。
翌日、最後にリーダーのルイス・ウルスアさん(54)が生還(せいかん)すると、読売新聞は、「首にチリの国旗を巻いたウルスアさんを囲んで、鉱山の男たちが歌う野太いチリ国歌が現場に響(ひびい)いた」と報じています。ビニニェラ大統領はじめ全員の笑顔(えがお)がテレビ画面いっぱいに映し出されています。
国旗が掲げられるのは、入学式や卒業式、お祝いの行事、オリンピックなど平和な時ばかりではないので、時には、「国旗=戦争」とまで連想する人もいるようです。しかしそれはあまりに単純で、私たちは国旗が国際理解の第一歩であるということをまず理解すべきです。現に、このチリでの落盤事故、戦争とは何の関係もなく、人々を励まし、勇気づけ、支え合う象徴となっています。