これまで3回にわたって取り上げてきた「東京オリンピック公式記録」のある1ページに掲載された8カ国の国旗だけでも、こんなに変わったという典型的な例として、ルーマニアの国旗を紹介したい。
実は、1980年代の初めに、独裁者二コラエ・チャウシェスク大統領の次男ニクはルーマニアの青年代表団を率いて来日し、私は東京のオリンピック記念青少年総合センターでお会いしたことがある。あまりの尊大さとともに、大使館員たちのへつらいぶりに驚嘆した。
東京オリンピック当時とのそのほかの国々の国旗の変更については日を改めて、公式報告書のほかのページに掲載されたものなどを紹介したい。
1948年にルーマニアに共産主義政権ができたときの国旗
1952~65年までの、つまり東京五輪当時のルーマニアの国旗
1965~89年までのルーマニアの国旗。
1989年、独裁者チャウシェスクに反対する救国戦線軍やそれに共感する市民たちが社会主義国らしい紋章を切り抜いて用いたルーマニアの国旗