8月23日の各紙は平成26年度予算の概算要求でアルジェリア、モロッコ、エチオピア、ジブチ、ケニア、南アフリカ、ナイジェリアの7カ国に新たに防衛駐在官を派遣する方向性を示したことを報じている。
戦前の日本は主要各国に武官を置いていた。正式な感触としての名称は「○○国在勤帝国大使館附陸軍武官」(あるいは海軍武官)で、形の上では大公使館の組織内に設けられていた部署ではあるが、しばしば、大公使館の建物とは別に武官事務所を開設していた。大公使館陸軍部や海軍部の長を務め、しばしば補佐官を配置した。1941(昭和16)年でみると、陸軍にはイギリス・ドイツ・ソ連・イタリア・中国・タイ・メキシコの9カ国に補佐官が配置されている。陸軍では、陸軍大学校を操業して、主として参謀畑を歩む上級佐官クラスが任じられた。中には陸軍では後に首相となった寺内正毅をはじめ、神尾光臣(青島攻撃の司令官)、明石元二郎(台湾総督)、柴五郎(会津から斗南で苦汁を味わった後、義和団事件で日本軍を指揮、第一次世界大戦時には坂東捕虜収容所長)、渡邊錠太郎、板垣征四郎、松井石根、杉山元、梅津美治郎、畑俊六、永田鉄山、大島浩、山下奉文、今村均、石原莞爾、栗林忠道、本間雅晴などといった良くも悪くも日本の歴史に名をのこした人たちが武官を経験し、海軍にも同様に、後に首相となった斎藤実、米内光政をはじめ、広瀬武夫、野村吉三郎、永野修身、山本五十六、井上成美、山口多聞、源田実といった逸材がいる。つまり、陸海軍首脳陣の相当数が駐在武官等としての海外体験を持っていたということである。
第二次世界大戦での敗戦により、陸海軍は解体され、駐在武官制度も廃止された。
日本の場合、駐在武官が外務省を経由することなしに、したがって、外務省暗号を使用せず直接、陸・海軍省に報告し、その指示を仰ぐことで二元外交の弊害が生じた。戦後、復活した防衛駐在官制度では諸外国の大使館付武官制と比べて規制が多く、すべての情報は大使経由で本省に送られることになっている。
このほど、政府は、防衛駐在官をアフリカで大幅に増強することになった。これは今年の1月に日本人10人が死亡という悲惨な結果に終わったアルジェリア人質事件で情報収集に手間取ったことを教訓に、同国やケニアなど7カ国への新規派遣に踏み切るものだ。また、アフリカ各国の旧宗主国である英国など欧州3カ国では防衛駐在官を増員し、人的ネットワークでアフリカ情報の収集にあたらせる。
また、ブラジルに中南米で初となる防衛駐在官を派遣する方針も固め、合わせて平成26年度予算案概算要求で関連経費を盛り込んだ。
ここに防衛駐在官の派遣予定国の国旗を並べてみただけで、あの広いアフリカ大陸にあって、結構バライエティに富んだはいちだという感じがする。
これまでアフリカで防衛駐在官を置いていたのはエジプト、スーダンの2カ国のみ。来年度からは新たにアルジェリア、モロッコ、ナイジェリア、ジブチ、エチオピア、ケニア、南アフリカにも派遣し、これで一挙に9カ国の大使館に防衛駐在官が置かれることになる。
私はこの際、防衛省に注文したいのは、女性自衛官の防衛駐在官への登用だ。米国をはじめ各国の防衛駐在官に女性の軍人がいる中で、日本だけかたくなに女性の防衛駐在官を持たないのは男尊女卑ではないか。既に女性の将官もでた自衛隊、よもや男尊女卑の考えはあるまいが、しかと検討してもらいたい。