バングラデシュの元ゲリラ隊長から感謝の盾①

バングラデシュの元ゲリラ隊長アラム・ロフィーク氏が京都大学の招聘により来日し、私に感謝の盾を下さった。同氏、現在は京大との途上国援助に関する共同研究を行い、論文を書き、現場では多くの日本人のお世話している。


独立戦争から独立直後にかけて掲げられたバングラデシュの国旗

現在のバングラデシュの国旗

懐かしいロフィーク元隊長との再会。感謝の盾を授与された。
10月30日、東京のNHKスタジオで。

私は40余年前、1971年9月、国際赤十字駐在代表として当時の東パキスタンに赴いた。当時の「東パ」は前年11月に襲来した未曾有のサイクロンとこの年の3月から始まったバングラデシュ解放のための内戦で大混乱のさなかだった。

私は国際救援・協力活動野分野におけるわが師匠・橋本祐子(さちこ)日本赤十字社青少年課長(当時。後にアジアで初めて、女性で初めて、平時活動ではじめて国際赤十字最高勲章である「アンリー・デュナン章」の受章者)の勧めにより、この職務に就いた。ジュネーブで一定の訓練(特に戦時の情報収集、通信、避難訓練)を受けた後、ダッカに着任、各国代表がやや忌避した感のある南部の島ハチアでの勤務を買って出た。どうせこういうところに来たからには、スイス人によくある「首都で会計担当」などは真っ平ごめん。そこでしか経験できない場所と任務を希望した。これも橋本先生の精神とでも言うべき選択法だ。

ハチア島は淡路島ほどの面積で、全島、海抜0メートル。サイクロンでは島全体が地理上から消え、多くの犠牲者を出したが、その後も川の浸食errosionが激しく、私がいた当時と今では島全体が半分近く南に移動したような形になっているそうだ。

バングラデシュは公式には1971年12月の第3次印パ戦争で独立したのだが、私が着任した頃には日々、全土でパキスタン軍とその地元部隊であるラサカルに対するムクティ・バヒニ(ベンガル解放軍)のゲリラ的闘争が行われていた。

ロフィークは私より6、7歳は若いはずなので、当時はせいぜい24,5歳だったかと思うが、インドで軍事訓練を受け、仲間を率いて故郷のハチヤ島に夜間上陸を敢行、一夜にして全島からパキスタンの武装勢力を駆逐した。


故郷ハチアを他の地域に先駆けて解放した時のロフィーク隊長

ロフィーク隊長の下で銃を取って戦ったムクティバヒニの戦士たち

それ以前私は、当然、パキスタン側とも折衝し、必要な支援も行っていたが、それはあくまでも島民のためであり、政治的には後ろ指を差される覚えはない。それでも、島内唯一の外国人ということで、私を拘束するか銃殺するかという議論が結構あったそうだ。

幸い、ロフィークの父親(弁護士でメッカ巡礼経験者=ハジの資格を持つ紳士)が私を援護してくれたり、同僚の「東パ」赤十字のサイクロン対策担当であるハルン・アルラシドくんやハチヤ在住の元パキスタン空軍将校のモイン・ウディン・アーメドくんらも立証してくれ、事なきを得た。

あれから40年の月日が経ち、当時の拙著『血と泥と- バングラデシュ独立の悲劇』(読売新聞社)がNHKのラジオ日本でベンガル語により連続海外放送され、昨年春、それを聴いたダッカの出版社から出版されるということもあり、このたび京大の招きによるロフィーク氏来日の機会に、こんな立派な盾を頂戴することになった。

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