地球の温暖化に伴う氷の溶解、砕氷船の充実、経済性の高さなどから、昨今、北極海航路が大きく注目されてきている。日本をはじめ東アジアと欧州との航海が一挙に短縮されるというのは大いに魅力的だ。
10年ほど前、北極海に臨むロシアのムルマンスクから原子力砕氷船に誘導された貨物船で、コンテナ方式のビール「工場」が北方領土の国後島に運ばれ、2、3年は生ビールを飲むことができた。北極海航路を活用することができるというロシアのデモンストレーションだったか。
この航路について、笹川陽平日本財団会長の「夢の北極海航路」と題するエッセイが9月26日、自衛隊の週刊新聞「朝雲」に掲載されているので紹介したい。
旗では、その北極海航路を示すかのような旗が国連旗である。北極点を中心に南緯60°までの正距方位図法の世界地図とその両側を囲む平和の象徴・オリーブの葉。紋章の部分は建ての2分の1。
国連旗
アジアと欧州を最短距離でつなぎ、15世紀の大航海時代から「夢の航路」とされてきた北極海航路の活用が本格化している。
9月初旬に東京と札幌で開催された海洋政策研究財団主催の「北極海航路の持続的利用に向けた国際セミナー」では、ロシアやノルウェーの専門家から日本の本格参入を求める声が強く出た。
我が国は5月、中国、韓国など5カ国とともに、沿岸8カ国でつくる「北極評議会」のオブザーバー国に承認されたが、中国、韓国に比べ周回遅れの状態にある。
私自身、海洋政策研究財団が1993年から6年間、ノルウェーのフリチョフ・ナンセン研究所、ロシアの中央船舶海洋設計研究所と取り組んだ国際北極海航路計画(INSROP)の運営委員会委員長を務め、その成果が今も北極海航路のバイブルとなっているだけに日本の現状は残念でならない。
6年間の研究記録INSROPには最終的に14カ国390人の研究者が参加、横浜港からノルウェーのキルキネスまで試験航海も行い、その成果を99年、オスロで発表した。会場には“ライバル”となるスエズ運河の関係者も多数詰め掛け、大層、盛会だったと記憶する。
これに比べ中国、韓国が持つ砕氷能力付きの調査船もなく、明確な将来像も持たない日本の現状はあまりに寂しい。日本は伝統的に北極海域への関心が薄いとされるが、南極に興味が偏り過ぎてはいないか。
北極海は砕氷船の先導があれば6-10月の航行が可能で、30年後には氷がゼロになるとの予測もある。今年は60隻前後の利用が見込まれているが、これまで日本関係の船の利用は2隻に過ぎない。
スエズ運河を利用する南回り航路と並ぶ第2のシーレーン、北極海に眠る石油・天然ガスの確保に向け、安全保障上も、これ以上の静観は許されない。地理的に最も有利な立場を生かし、北海道・苫小牧などにハブ港を整備すれば、国際港として大きな飛躍が期待できるが、実行が遅れれば価値も低下する。
セミナー終了後の晩餐会では、中央船舶海洋設計研究所のペレシプキン所長が「あなたこそ北極海航路の生みの親だ」と握手を求め、ロシア・原子力船公社のルクシャ社長は「早い時期に是非」と乗船を招待してくれた。
日本が北極海航路の先頭に立つ日を夢見ながら、「北極海の今」をこの目で確認できる日を楽しみにしている。