1. 1932年に制定されたシリア国旗(今回、反政府軍が掲げている旗)
2. 1952年、エジプトとのアラブ連合成立で採択された国旗
3. 1961年、シリアによるアラブ連合からの離脱で復活した国旗
4. 1963年、バアス党政権の樹立で採択された国旗
5. 1971年、エジプト、リビアとアラブ共和国連邦を樹立して同一にした国旗
6. 1980年、アサド(父)大統領が変更した現在までの国旗
今夜は日本とシリアのサッカーアジア最終予選がアウェイで行われます。私は勝敗もさることながら、安全かつフェアに試合が行われることをまず祈ります。
1971年にハーフィズ・アル=アサドが大統領に就任以来、シリアではバアス党(アラブ社会主義復興党)の一党独裁が「続き、2000年に同大統領が亡くなると息子のバアシャルアル=アサドが政権を継ぎ、さらなる人権抑圧を行うようになりました。今回の騒乱の原因は、明らかに政権側の非民主的国家運営にあります。
そんなさなか、今日の早朝時事通信が配信したところによりますと、国連安保理はアラブ連盟と米英仏がまとめた「シリアに関する決議案」(シリア当局による反政府デモ弾圧に関する会合で、アサド政権に対し人権侵害の即時停止を要求する決議案)に対し、中露両国が再び拒否権を行使し、安保理は深刻な機能不全を露呈しました。
「ロシアは、今交渉でも内政干渉だとして強硬に反対。決議案を作成した欧州理事国とアラブ諸国は合意形成に見切りをつけ、採決に踏み切った」「ライス米国連大使は演説で、拒否権行使に「うんざりだ」と不快感を表明。中ロ両国はシリア国民を見放し、暴君を守ろうとしていると批判した」と時事通信は伝えています。
他方、シリア国内では西部のホムスで3日夜、軍による大規模な攻撃があり、AFPの伝えるところによれば200人を超える(ロイター通信は217人の)死者と、数百人の負傷者が出たようです。これが事実なら昨年3月の反政府デモ以来、最大の犠牲者ということになります。
各国でもさまざまな動きが出ています。オバマ米大統領は声明を発し、「シリア軍によるデモ弾圧は市民への言語を絶する攻撃であり、犯罪だ。シリアを先導する正当性はない」とアサド大統領の即時退陣と民主化プリセスへの移行を求めました。
アラブ地域でも、チュニジアはシリア大使を追放し、エジプトではシリア人の若者たちが大使館を襲撃し、放火したりしました。ヨーロッパでもロンドンのシリア大使館の窓が破壊され、ドイツ、クエート、ギリシャのシリア大使館へも抗議行動が行われたと各紙は報じています。
今夜の私の注目点は、サッカーの観衆がどんな旗を振るかです。日本からのサポーターは例によってファッショナブルに「日の丸」の化粧をし、大小の国旗を振るでしょうが、シリア側のサポーターははたして最上段が赤の今のシリア国旗でしょうか? それとも、最上段が緑の昔の国旗でしょうか? 昔の国旗というのは、実は、いま、反政府軍(政府軍から脱走した将兵を含む)が掲げている旗なのです。
もちろん、警備側は厳重に取り締まるし、入場の際にはチェックするでしょうが、もしかして着込んで行ったり、日本人に託して入場したり…、ああ、危ない、危ない。テレビ中継は20:54から、テレビ朝日系列でです。