上段左からシリア、サウジアラビア、エジプト、イラク、レバノン、下段左からパレスチナ、イエメン、ヨルダンの各国旗。今もって国旗が同じであるのは、サウジアラビア、ヨルダン、レバノンの3カ国のみ。他の国々では何度も国旗の変更が行われました。シリアでは今、反政府勢力がこの当時の緑白黒の横三色旗の中央に赤い星3つという旗を翻して戦っています。
アラブ世界において発生した、民主化要求する前例のない大規模な反政府運動「アラブの春(Arab Spring)」は、2010年末から今日まで、世界中で一番注目されてきた政治的な動きだったのではないでしょうか。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動による「ジャスミン革命」が発端で、アラブ世界はもとより各地に波及していきました。
チュニジア、エジプト、リビアでは長期独裁政権を崩壊させ、イエメン、バーレーン、シリアなどでも住民による激しい反政府運動が展開され、特にシリアでは多くの犠牲者が出ています。さらにはその影響がまた、現政権に対する抗議・デモ活動はロシアを始めその他の地域にも広がりを見せています。
「アラブの春」は2つの大きな特徴を持っています。第一は、情報の共有化ということです。インターネットはもちろん世界では情報通信の飛躍的な進歩が図られ、政権や独裁者への批判はたちまちにして市民の間に浸透し、誰も真実を隠せなくなったことです。
第2は、どこの反政府運動でも特定の強いリーダーがいないことです。反政府デモは自然発生的であり、特に、イスラム諸国では阻止できない金曜礼拝がそのまま抗議集会になってしまうというプロセスです。
それだけに、政府が転覆した後の混乱も必至で、あるいは別の独裁者が出てきたり、そういうリーダーを待望したりしかねないという心配があります。
そんなことに思いを巡らしていて、思い出したのが、この切手。1951年にエジプトで発行されたアラブ連盟の記念切手です。40年以上前に入手して大事にしていたものですが、どうしても左下の国旗がどこの国のものかわかりませんでした。
ところが、持つべきものは良き友なり、仲間なり。
ユーラシア21研究所の引っ越しの際に、「アラブの春は今年も続きそうだなぁ」と思いつつ眺めていると、職員の石川雅子さんが、「その左下の旗のことメールで訊いてみましょうと、金曜日の夕方、アブダビ在住のアラブ人と連絡を取ってくれたのです。すぐお返事をいただきました。結論はパレスチナでした。旗面にアラビア語でパレスチナと書いてあるというのです。
アラブ連盟(League of Arab States)は、アラブ諸国の政治的な地域協力機構として、第二次世界大戦末期の1945年3月22日に創設された国際機構です。原加盟国はエジプト、シリア、イラク、ヨルダン、レバノン、サウジアラビア、イエメン(加盟時は北イエメン)、現在の加盟国は22カ国です。現在の連盟事務総長はエジプト前外相のナビール・アル=アラビーです。本部はカイロ。但し、シリア(2011年11月16日より加盟資格停止、パレスチナの旗がこの切手には出ていますが、正式加盟は1976年のことでした。エジプトは、1979年3月にイスラエルとの平和条約締結を理由に、加盟資格が停止になりましたが、1989年5月に復帰しました。
アラブ連盟加盟国はイラン・イラク戦争では一貫して原加盟国であるイラクを支持し続けましたが、1991年の湾岸戦争では加盟国間で意見が分かれ、逆に、多くの国がイラクへの攻撃に参戦しました。最近では、対米関係、特に経済や安全保障面での対米依存が向上していることもあり、アラブ連盟の政治的役割はますます低下しており、イスラエルの膨張阻止をイスラエルが核保有を公式に認め、廃絶に向かわせるこという視点や、パレストナの地位向上、難民への支援といった共通項で結びついているといっても過言ではないでしょう。
2008年3月には、国際原子力機関(IAEA)の監視を受けるよう国際社会が圧力をかけることを求め、場合によっては核拡散防止条約(NPT)体制からの脱退するとまで触れた声明を発表しました。
「アラブの春」が短いものではなく、真の民主主義と平和が一日も早く訪れることを期待しています。