ユーラシア21研究所が主催した「ウラジオストクフォーラム2101」の会場(沿海州行政府ビル)にて。正面左はヴィクトル・ラーリン・ロシア科学アカデミー極東支部 極東諸民族歴史・考古学・民俗学研究所所長(ロシア側団長)、右は袴田茂樹安全保障問題研究会会長(青山学院大学教授)
ロシア沿海州(プリアモリエ)の州章。青い×は聖アンドリューの十字。ロシア海軍の旗。
右は、沿海州の旗。
下の文字はロシア語です。
沿海地方創設日:1938年10月20日
首府:ウラジオストク市(616,800人)
沿海地方の位置:北緯42.18 48.23 / 東経130.24 139.02
人口: 2,051,300人
そのうち都市人口:1,608,200人
そのうち農村人口:443,100人
1㎢あたりの人口:12.4人
注:ちなみに北海道の室蘭市はほぼ同緯度にあります。
西宮市(兵庫県)の高校1年生Yくんからの質問です。「ボクは生まれる前からのタイガースファン。でも、どうして世界で虎の国旗がないのですか?」。
アンチジャイアンツの私としては親戚にであったような気分です。
六甲颪に 颯爽と
蒼天翔ける日輪の
青春の覇気 美しく
輝く我が名ぞ 阪神タイガース
※オウ オウ オウオウ 阪神タイガース フレ フレフレフレ闘志溌剌 起つや今
熱血既に 敵を衝く
獣王の意気 高らかに
無敵の我等ぞ 阪神タイガース
※繰り返し鉄腕強打 幾千度び
鍛えてここに 甲子園
勝利に燃ゆる 栄冠は
輝く我等ぞ 阪神タイガース
※繰り返し
言わずと知れた『六甲颪(おろし)』(佐藤惣之助作詞、古関裕二作曲)、大阪タイガース(現・阪神タイガース)創設の翌1936年から今に続く名曲です。いい歌ですよね。
「獣王の意気 高らかに」と言う2番の歌詞等、まさに虎を猛獣世界の王者と称え、阪神タイガース・ファンはこれを歌いに甲子園に通っているようなものですよね。
「虎とライオン、ドッチが強いか?」と私は4つ違いの兄・忠晴に訊きました。「よく考えてみろ」と一蹴されましたが、それ以来、「あれはアニキも知らないんだな」と勝手に決めていました。しかし、長じて思えば、生息地が違うので、「決闘」はないんだなと一人で納得しました。今はなき兄との懐かしい思い出の1つです。
ベンガルの虎
30代のはじめ、国際赤十字の駐在代表として東パキスタンがバングラデシュとして独立する1971年から翌年にかけてかの地に滞在した。さっそく、手に入れた当時の英文観光ガイドブックには「ベンガル虎、見物ツアー」なるものが出ていたので、機会を待っているうちに、内戦、そして第3次印パ戦争となり、赤十字の仕事は寸刻の暇もなくなってしまいました。その名もションデルバン(美しい森)という南部地域に虎が多数生息し、今では世界遺産になっています。
ついでながら、このときの赤十字での経験を読売新聞社から『血と泥と―バングラデシュ独立の悲劇』という本にして出版しました。それが今月、なんと40年ぶりにベンガル語になって首都ダッカの出版社から出、26日、在日ベンガル人たちが集まってお祝いしてくれるというのです。うれしいです。
加藤清正の虎退治
閑話休題(それはともかく)。「文禄・慶長の役」は韓国では「壬申倭乱」と呼ばれ、秀吉麾下の加藤清正、小西行長といった武将は徹底的に嫌われています。しかし、私たちにとって加藤清正は虎退治の人として親しみのある人でした。私が大事に持っていたメンコの絵もこの虎退治のシーンを描いたものでした。後に熊本の城主となりましたが、幕府に(おそらくは戦略的に)嫌われ、お家断絶の憂き目に会いました。
この「虎退治」の話、実話かどうかはあやしいようですが、江戸時代の「絵本太閤記」ですっかり有名になったようです。清正が朝鮮半島北部の威鏡道に布陣していたとき、自らの小姓が虎に食い殺されたのでした。怒った清正が十文字槍で虎狩りをやり、大虎を退治したという逸話です。しかし、このとき清正の槍は先を噛み切られて片鎌となったのですが、かまわずその片鎌の槍で斃した、という武勇伝です。かくして片鎌槍が清正のシンボルとなったといいます。
「虎狩」と「虎刈り」で有名になった殿様
もう一人、「虎狩」と「虎刈り」で有名になっ(てしまっ)た人がいます。徳川義親(1886~1976)です。幕末の福井藩の名君とされた松平春嶽の5男であり、後に尾張徳川家の当主となった、本来は生物学者・農林学者です。1919年には、千島の生物の採取を第一の目的に、千島の最北端・占守(しゅむしゅ)島まで出かけるという、約一ヶ月の探検旅行をしました。ところが、このあと、1921年、蕁麻疹治療のためマレー・ジャワで転地療養した際、マレー半島南端のジョホールのスルタンの招きで、虎狩りや象狩りを行ったことがこれまた武勇譚として面白おかしく喧伝されたのです。
義親の長男・義知(1911~92)も随行しました。この人には、戦時中は捕虜のお世話や通訳を、戦後は日赤の仕事をしておられ、私は捕虜の研究の際に随分親しくさせていただきましたが、あるとき、こんなふうに語ってくれました。
「1942年には父に同行して再びジョホールバルに行きました。しかし、戦時中でもあり、父は寸刻を惜しんで治世にあたりました。しかも、20年前のとき、父はあくまでスルタンの招待に応じて狩猟に興じただけで、いわゆる虎狩りをしたのもこの時のみでしたが、これがまるで加藤清正の故事になぞえたかのように報道され、その他の功績がすべて吹っ飛んで<虎狩りの殿様>としてのみ知れ渡ってしまいました」と慨嘆しておられました。
また、「全国の理髪師の組合から名誉会長にと頼まれて就任したのですが、それは<トラ刈りの殿様>だからいいだろうという冗談のような理由からでしたが、父は喜んで引き受けていました。本当は生物学では昭和天皇と同門の兄弟子だったんですがね」とも話していたことがあります。
ロシア沿海州旗には虎が
ところで、Yくんの言うように、国旗に虎は出てきたことがありません。唯一、ロシアの沿海州(プリアモリエ)の州の旗と紋章が虎です。
このあたりの虎は「アムールトラ」といいます。かつては朝鮮北部の威鏡道あたりから中国北東部、ロシアの沿海州(ウスリー東側)などにもいたのですが、今では、ロシアの極東地方にかろうじて4、500頭残っているだけだと、1990年代にハバロフスクの博物館で虎の標本を見たときに案内してくれたロシアの環境学の専門家から聞きました。
日本文化には虎が定着
それにしても日本人は虎が好きですよね。タイガースファンの熱狂はもちろん、私が主宰するユーラシア21研究所は今年の元旦まで虎の門(東京都港区)にありましたし、畏友・黒川光博社長の羊羹の「虎屋」は有名です。「トラ・トラ・トラ」は、太平洋戦争の始まりである日本軍の真珠湾攻撃成功を伝えた電信でした。意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。連合艦隊ハワイ攻撃隊長・淵田美津雄中佐の搭乗する九七式艦上攻撃機から発信されたものです。
この電信文の暗号は、聖徳太子(厩戸皇子)が信貴山で物部守屋討伐の戦勝祈願をした際、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって勝利したという伝説にちなみ、日本の勝利を願って「トラ・トラ・トラ」としたのだそうです。後に、この電文をタイトルとし、真珠湾攻撃を題材とした映画『トラ・トラ・トラ!』が作られました。
京都のお寺を見てみましょう。まず鞍馬寺。1200年以上もの歴史を持つものお寺では、毘沙門天が「寅の月、寅の日、寅の刻」に出現したということから、トラは特に大切にされています。そのために本殿金堂前には狛犬ではなく、一対の阿吽のトラが参拝客を迎えます。
天台宗の曼殊院門跡は洛北屈指の由緒あるお寺。最澄が延暦年間(782~806)に比叡山に一宇の御堂を建てたのが、この寺の始まりとされています。その庭大書院の「虎の間」には、狩野永徳が描いたと伝わる襖絵「竹虎の図」(重文)があり、金箔地に風格のある虎が描かれています。
大政奉還で有名な世界遺産・二条城。二の丸御殿には、狩野派によって描かれた数々の障壁画で飾られます。城に参上した大名が控える「遠侍の間」には、虎と豹が水を飲む様子が描かれています。地方から訪れた大名に威圧感を与え、将軍の力を誇示するために描かれたものと考えられています。
嵐山・渡月橋の南詰めにある真言宗・法輪寺の狛虎もよく知られています。本尊である虚空蔵菩薩は、丑年、寅年生まれの守り本尊。そのため、本堂の正面両側には狛犬の代わりに牛と虎の石像が並んでいます。のんびり横たわる牛と雄叫びをあげる虎の組み合わせがとてもユニークです。
辞書を見ると、日本語には虎にちなむいろいろな言葉があることに気付きました。
虎に翼/虎の威を借る狐/虎穴に入らずんば虎児を得ず/虎口を脱する/虎の子渡し/虎は死して皮を留め、人は死して名を残す/虎は千里往って千里還る/虎を画きて狗に類す/虎を野に放つ虎を養いて自ら患いを遺す/虎の子/虎の巻/虎の尾を踏む/虎になる/とらぬ狸の皮算用…おっとっと、これは虎とは関係ありません。間違いました。
とにかく、辞書にこんなにも虎が出没するということは、日本の文化には虎がすっかり定着しているということです。なぜかな? 私にもよく分かりません。もしかして先人たちも「虎の威」を借りたかったのかもしれません。
もう一度言いますが、世界の国旗はライオンをはじめ、さまざまな動物が登場しますが、国旗に虎というのはありません。ロシアの沿海州の州旗しか、私は知りません。
ところで、Yくん。私から1つお願いがあります。どうしてTigersはタイガーズではなく、タイガースなんでしょうか。わかったら教えてね。