源氏が赤旗を掲げた話

NHK大河ドラマ「平清盛」はイマイチ視聴率が上がらないようですが、その時代のことで、こんな話が伝わっています。

実は激動の源平期に、偽って敵の旗を掲げた、今から見れば卑怯な戦法を用いた例があるのです。


木曾義仲

『平家物語』第6巻によると、1182年9月、朝日将軍といわれた木曾義仲(1154~84)の家臣で、保科党を率いる井上九郎光盛(?~1184)の300騎は、義仲に組して参陣し、千曲川西岸(現在の長野県)の横田河原に陣を構える越後の城四郎長茂以下の平家方の大軍に遭遇しました。

そこで、味方の兵員の少ない光盛は、義仲の指図で7つに分けた軍勢に平家の旗印である7枚の赤い幟を持たせ、これで敵の将兵を安心させようとしたのです。

そして合図とともに6mもの堀を越え、平家の赤い幟を捨て、源氏の白い幟に換え、長茂の軍をあわてさせました。これに義仲自ら率いる1500騎が正面から攻め、平家方を敗退させてしまいました。この戦功により光盛は信濃源氏の代表格として扱われていますが、その後は義仲の上洛には従軍せず、源頼朝(1147~99)に従ったのですが、甲斐源氏・一条忠頼と共に頼朝に危険視され、1184年7月に駿河国(今の静岡県)蒲原で誅殺されました。ちなみに、頼朝の神号は「白旗大明神」です。

光盛の末路は気の毒に思いますが、後世の視点から言えば、横田河原での旗の用い方は許しがたい卑怯な戦法であり、武士道に悖る行為なのでしょうが、果たして、当時はどう見られていたのでしょう。大河ドラマのファンの方でも感想をお寄せください。

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