五輪など国際スポーツ大会用の合同チーム旗
南北朝鮮、正しくは大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国、略して韓国と北朝鮮、依然として同一民族が分裂して対峙したままであるのは、お気の毒であり、また、極東の平和と安寧にとっても、残念なことです。加えて、またまた北朝鮮が長距離ミサイルの発射実験をするということで、中露を含む世界中から非難が集中しています。自衛隊はイージス艦を東シナ海に配備して万一の場合は迎え撃つ準備をしています。
しかし、これまで、スポーツ大会などでは時に、合同して「コリア」チームを編成するなど、さまざまな緊張緩和の策が行われてきました。そして多くの場合は合同チームでの大会参加に際してはこのデザインの旗が用いられます。
白地の中央に、空色で朝鮮半島と済州島(チェジュド)と鬱陵島(ウルルンド)が描かれており、DMZ(非武装地帯)に挟まれた軍事境界線などのないデザインです。
竹島?
「日本人には見えないでしょうが、韓国人には描かれているのが見えるよ」とは、親しい韓国人の国際政治学者が言った冗談です。西海岸にある猫で有名な珍島や江華島など、もっと大きな島も省かれていますから、それは別問題と言っていいでしょう。
余談ですが、私の大学院での指導教授である松本馨先生の祖父・良馨は明治時代、この江華島での事件(1875)の主役・雲揚号の艦長でした。馨教授から何度も聞いた話ですが、「楽器まで略奪してくる等、日本軍も酷いことをしたものだ」と孫に語っていたそうです。「祖父は明治天皇のお覚えめでたくなんと東郷平八郎と並んで、明治時代たった二人の元帥になった。そんなことから私は乳児期に昭和天皇といっしょに育てられたんだよ」とも語っておられました。実際、モズレーの『人間ヒロヒト』の冒頭に「昭和天皇を殴った男」として冒頭の11頁にわたり、ほんの数日早くお生まれになった松本先生が、体力あまって「赤ちゃん昭和天皇」と戯れて殴った話が出てきます。
松本先生は東京帝大を卒業されてから、京城帝大に着任しましたので、後年、私は先生を韓国にご案内したことがあります。高麗大学の構内を歩いていると、突然、昔の教え子が教授になっていて声をかけてくれるということもありました。フランスのペルノー on the rockが大好きで、それだけは私も継承しています。二人だけの嬉しく懐かしい思い出ですが、この話はこのあたりまでとし、本論に戻りましょう。
朝鮮半島にある2つのNOC(国内オリンピック委員会)は1964年の東京オリンピックに合同チームで参加しようという動きがありました。そのため、前年、IOC(国際オリンピック委員会)のあるスイスのローザンヌで「南北体育会談」を開催しました。しかし、統一選手団の団旗と団歌の制定についての話し合いは難しく、その後も水面下でいろいろ接触が行われたようですが、意見が一致せず、合同チームの編成はかないませんでした。
私は組織委の国旗担当として、韓国、北朝鮮、統一旗の3種類を製作して準備しました。また、合同チームが不調に終わったことから、韓国の国旗が引き吊り下ろされるようなことがないよう、気を使いました。
ところで、内藤陽介『北朝鮮事典―切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国』(雄山閣)によりますと、北朝鮮がオリンピック記念切手を最初に発行したのは東京オリンピックの時なのだそうです。ですから、東京でのオリンピック参加の取り消しは、私たち組織委関係者のみならず、選手にとっても突然のことであったでしょうし、ホンネではさぞ、残念なことだったに違いありません。