五輪など国際スポーツ大会用の合同チーム旗
南北朝鮮、すなわち大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は相互の合意により、以下のスポーツ競技大会において「統一旗」を公式に使用しました。
1991年3月:第41回世界卓球選手権(開催地:千葉県)
1991年5月:第6回ワールドユースサッカー(リスボン)
2000年9月-10月:シドニーオリンピック
2002年9月-10月:第14回アジア競技大会(釜山)
2003年:第22回ユニバーシアード夏季大会(大邱)
2004年8月:アテネオリンピック
2006年2月:トリノオリンピック
2006年12月:第15回アジア競技大会(カタール、ドーハ)
シドニーオリンピック以降はいずれも開会式の合同入場でのみ使用されただけで、実際はそれぞれが別の国旗を使用し、表彰式もそれぞれの国旗を掲揚して行われました。
しかし5年間、2007年5月17日、韓国と北朝鮮は南北の鉄道を連結しました。この日の試運転の際、汶山駅に、「統一旗」が久しぶりに掲げられました。鉄道の再連結は朝鮮半島の統一に向けたひとつの歩みとは思いますが、その後はこの鉄道は運用されないままどころか、南北関係はさらに厳しいままになっているのは残念です。
北朝鮮による拉致問題の解決、「人口衛星」発射実験の中止、核装備の廃絶は喫緊の課題です。そして、竹島問題を解決、日本との国民的な相互理解と和解の推進などが長期的には図られなくてはならない重要な問題だと思います。
2008年の北京オリンピック以降、スポーツ大会で「統一旗」は使用されていません。
それでもこの「統一旗」は少なくとも当面、南北の気持ちをなんとか包もうとする1つのシンボルとして何らかの役割を果たしているように思います。今のところ、今年のロンドン・オリンピックでもこの「統一旗」が使用される可能性はゼロに近いと予想されます。
ところで、この「統一旗」のように、国土をそのままシルエットで国旗に描くというのは、国連旗に始まり、1960年にキプロスが採用し、1972年の独立から数年間のバングラデシュの国旗に見られました。また、明石康さんを借り出してのUNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)が統治した時代のカンボジアがそうでした。
初期のバングラデシュの国旗
カンボジア最高国民評議会(SNC)時代(1992~93)の旗。
明石康国連事務総長代行が臨時の最高統治者であった。
キプロスの国旗は今も形の上ではそのままですが、詳細は他の記事で述べたように、このデザインの国旗は国連本部とスポーツ大会などごく限られた場所でしか使用されておらず、国民はそれぞれがギリシャや北キプロス、トルコの国旗を掲げているのです。
キプロスの国旗。EU加盟国となった南部でも、民間人はまず掲揚しない旗。
北部の「北キプロス共和国」では下のウィキペディアからの写真のように、唯一これを承認しているトルコの国旗と「北キプロス」の「国旗」が掲揚されている。
バングラデシュの国旗は今の国旗の中央に「ショナール・バングラ(黄金のバングラ)」を示す、黄色いシルエットで国土を描いたものでした。旗の原型は、独立の契機となった1971年3月までに芸術家カムルル・ハッサン(Quamrul Hassan)によってデザインされたといわれてきましたが、最近判明したところでは、ダッカニューマーケットでアポロ洋服店を営むバズルル・ラーマン・ラスケルから贈られた布を使い、学生運動のリーダーであるシブ・ナラヤン・ダスがデザインし、71年の3月2日にダッカ大学の構内でA.S.M.アブドゥル・ラブダッカ大学学生自治会副委員長によって掲げられたとされています。デザインした人の名前からしてヒンズー教徒であり、国旗の緑はイスラムの色としてではなく、豊かな農業(農民が大部分で稲は三期作)を表しているものでしょう。
その旗が内戦時(同年12月の第3次印パ戦争でのインド軍の勝利でバングラデシュの独立が確定)から独立当初にかけて使用されていましたが、この原反を切って縫い付けるという製作方法では、中央部が5枚の布になることが多く、また掲揚時に地図が風で歪んで見えることから、私自身「建国の父」シェイク・ムジブル・ラーマン首相に直接、改善を助言したほどです。その後、シルエットは取り除かれ、77年に、同国はデザインや色を詳細に決めた国旗法を制定した際、円を横の20分の1、竿側にずらすことや赤と緑についても英国の方式で具体的に色合いを規定しました。
さて、今一度、朝鮮半島に戻ります。今の「南北」の国旗に共通なのは「青と赤」、そして白です。いつの日か統一が実現する際には、この「統一旗」ではなく、おそらく韓国の「大極旗(テグキ)」がそのまま全土に翻るか、民族の色である「青と赤」を基調とするデザインの旗が採択されるのではないかと、勝手に想像しています。