就航当時、「世界一の豪華客船」と言われたタイタニック号が沈没してから、4月で100年。ベルファストで建造され、1912年4月10日にサウサンプトンから出航。シェルブール、アイルランド・コーブを経由して、ニューヨークへ向かった5日後、北大西洋のカナダ沖で氷山に激突して沈没するという悲劇の処女航海。2224人の乗員乗客のうち、1500人以上が亡くなったといわれています。
英国は北アイルランドのベルファストでは、100年目にしてタイタニック博物館がオープンしました。そのほか報道によると、「タイタニック地区」と名付けられた周辺ではホテルやオフィスビル、大学が次々と新設されているそうです。
北アイルランドといえば先年まで続いた激しい紛争、そのイメージをぬぐう絶好の観光資源になると期待されているようです。また、サザンプトンでも4月に関連博物館が開館し、寄港地だったフランスのシェルブールや沈没現場に近いカナダのハリファクスでも特別展などが計画されているそうです。
4月8日にサザンプトンから出航し、タイタニック号の航路をたどって大西洋を渡るクルーズ船も大人気のようです。1997年製作の「タイタニック」が4月から3Dで再公開されることもあり、関心はさらに高まりそうです。
その映画の予告編を見て、船尾に翻る英国海上旗「ブルー・エンサイン blue ensign」を眺めました。カントン(竿側)に「ユニオン・ジャック(ユニオン・フラッグ)」を描き、他の三つのクォーターが青無地だったり、それに紋章がついたりする旗です。国旗で言えば、今でもオーストラリア、ニュージーランド、フィジー、ツバル、クック諸島がそうです。カナダは1965年まで「レッド・エンサイン」に、イングランド、スコットランド、アイルランド、フランスの紋章と、小さな楓の葉からなる紋章を付けた国旗でした。
英国のブルー・エンサイン
1965年2月までのカナダ国旗
また、ハワイの州旗はアメリカの州旗では唯一、カントンに「ユニオン・ジャック」をつけていますが、これはハワイ王国時代の国旗を引き継いだもので、征服したアメリカが住民を懐柔することを狙ってそのままにしていたのが、今日まで続いているのです。ハワイ州旗については項をあらためて紹介することにします。
ハワイ州旗
話をイギリスに戻します。
1864年に行われた英国海軍の再編までは、「ブルー・エンサイン」は海軍の三個大隊のうちの一つ「青色大隊 (the Blue Squadron)」が使っていました。この年、枢密院令が「レッド・エンサイン」を商船に、「ブルー・エンサイン」を政府直轄の船や海軍の予備の船舶に指定されている船に掲げるようにし、そして「ホワイト・エンサイン」を海軍旗に割り当てたのです。また、①海軍の軍人(現役・退役後を問わない)が船長及び一定人数の船員に含まれている商船、②伝統を誇る王立ヨットクラブ所属のヨットの2つは例外として「ブルー・エンサイン」の使用が認められたのです。
要するに、「ブルー・エンサイン」は特別の艦船にのみ掲揚を許されたということで、「タイタニック号」はいざというときには輸送船として活用されるはずの条件が付いていたものと思われます。
そうした公式な役割と実用的な便利さがこの旗にはあります。「日がな1日、船員が破れたところに青い原反の布をあてがって縫うんですよね。そのときに破れ易い部分が青一色というのは簡単だということでしょう」と服部株式会社の奥村卓也社長。ちなみこの会社は1998年の長野冬季五輪の旗を全部製作しました。
「今でも海上自衛隊員は裁縫の基礎を実習しています」と、これは古澤忠彦元海将(横須賀基地司令)。「ブルー・エンサイン」に限らず、国旗にはこうした現実的な理由もあるということを、理解する必要があるのです。