1959~61年のマリの国旗
「パリ・ダカ」と呼ばれる自動車ラリーのゴールとして有名なのがセネガルの首都ダカールでは現職の大統領が落選という選挙があり、そして東の隣国マリではクーデターに続く反政府軍による北部制圧による情勢の混沌という事態になっています。アフリカでは多くの場合、こうした政治や軍事の混乱が国旗の変更に繋がってきましたので、眼が離せません。
マリ情勢はわかりにくいですね。内外の報道を総合すると、
- 首都バマコでクーデターが起き、トゥーレ大統領が政権を失った
- 政情不安で地方が空白になったスキをついてトゥアレグ人の武装組織が北部を支配した
- その武装勢力はリビアでカダフィ側についていた傭兵たちである
ということのようです。
サノゴ大尉率いる国軍反乱軍が3月21日に蜂起し、トゥーレ大統領を倒しました。しかし、首都の混乱をよそに、北部で分離独立を求める遊牧民トゥアレグ人の武装組織「アザワド解放民族運動(MNLA)」がクーデターの混乱を利用して、一挙に支配地域を拡大したのです。
トゥアレグ人の兵士たちはリビアのカダフィが雇っていた外人部隊に参加し、カダフィ政権崩壊後、リビアを脱出した連中です。このMNLAは武器・弾薬を持ち込み、1月以降、マリの国軍と交戦していましたが、北部の要衝キダルの制圧ではイスラム過激派組織と連携しているという見方が強いです。
世界遺産トンブクトゥのサンコレ・モスク
MNLAは4月1日、世界遺産に登録されている都市トンブクトゥ(黒人、アラブ人、さらには欧州からの商人たちの交易点だったところ)を制圧し、これでマリ北部の主要都市をすべて掌握したことになります。これで、クーデターから1週間余りで国の半分が反政府勢力の影響下に入ったことになります。
マリ、セネガル両地方は、ナポレオン戦争のあとを受けた1815年のウィーン会議でフランスの植民地であることが確認され、フランスはダカールなどの都市、ダカール港、サンルイ – ダカール間鉄道などの建設を進めました。その一方でアメリカから解放された奴隷たちが1848年、リベリア(「自由の国」の意)を建国したとき、この地方での奴隷貿易が廃止されました。
1895年、フランス領西アフリカに編入されダカールがその中心地となりました。1926年、『星の王子さま』の作者サン・テグジュペリがダカールと南フランスのトゥールーズを結ぶ航路の飛行士になったのでした。ようやく1958年に自治国となり、翌年4月にフランス領スーダン(現マリ)とセネガルはマリ連邦を結成しました。
1960年4月4日マリ連邦としてフランスから独立し、緑黄赤の横三色旗の中央に黒い人間像を描いたデザインの国旗を採択しました。しかし、わずか4ヶ月で8月20日にはセネガルは分離して、独自の国家となった。文学者として知られていたレオポルド・セダール・サンゴールが初代大統領に就任、親フランスの穏健改革路線で以後20年間にわたる長期政権を運営したのでした。
1981年1月、アブドゥ・ディウフ首相が大統領の蝕を継ぎ、翌年2月、セネガルはガンビアとともにセネガンビア国家連合を発足させました。しかし、もともとフランス領であったセネガルとイギリス領であったガンビアでは体制が異なり、主権問題、経済格差などのをめぐって対立が収まらず、8年余で国家連合を解消しました。ガンビアは川の両岸にイギリスが植民地を開いて行った東西に細長い国、セネガルはそれを囲んでいる形になっています。国旗を見比べても、この合併には無理があったなという気がします。
ディウフ大統領も4選を果たしましたが、2000年3月の大統領選決選投票でセネガル民主党 (PDS)のアブドゥライ・ワッド党首が当選し、ディウフ政権で外相などを務めたムスタファ・ニアスを首相に任命する連立政権を発足させました。
改革はそれなりに進みましたが、国民議会選挙をめぐって連立与党内での対立が発生し3月3日、ワッド大統領はニアス首相を解任、後任には初の女性首相マーム・マジョル・ボイが任命されました。
ワッド大統領は国民からの支持を獲得し、1960年以来40年間続いた社会党政権からの政権交代を完了させ、国内政治を運営する上で安定した政権基盤を築くことが出来ました。首相に任命されたセック氏はワッド大統領の有力な後継者と見られていたものの2004年4月21日解任され、マッキー・サル内務大臣が首相に就任しました。
2007年2月25日の大統領選挙では現職のワッド氏が再選されましたが、今年3月25日の大統領選挙では、サル元首相と3選を目指したワッド大統領とで決選投票が行われ、サル氏が倍以上の差で勝利しました。57歳と85歳と言うのですから、いくら実績のある現職でもここまで差が付くのかと考えてしまいます。
セネガルの政局はこれで少し落ち着くかとみられていますが、舵取りはよく解らないようなところがあります。例えば、1996年、中華民国(台湾)と国交を回復したのですが、2005年に再び中華人民共和国と国交を樹立したため台湾と断交したのです。
発展途上国の常と言えばそうでしょうが、途上国のリーダーたちがムダなエネルギーを使わずに、また、取り巻く大国たちが不要なエネルギーを注がないよう、真の発展と安定を図るようにしたいものです。
<最新情報>
【バマコAFP=時事】アフリカ西部のマリ北部を制圧した国際テロ組織アルカイダ系の武装組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている砂漠の町トンブクトゥの聖墓を破壊した。当局者が5日、明らかにした。イスラム過激思想を背景にした犯行とみられる。