レバノン杉の栄光と衰退、そして復活の物語③ – 国の命運を左右した樹木


レバノンの国旗

雪を抱く山並みを背景にしたブッシャリ(Busshari)
地方のレバンン杉の森。(安田先生撮影)

フンババの寺の柱でもあるかのようにまっすぐ伸びるレバノン杉(安田先生撮影)

レバノンの国旗の中央に描かれている「レバノン杉」の過去と現在を理解すべく、安田喜憲教授の『森と文明の物語 ― 環境考古学は語る』(ちくま新書)「第1章 香わしき森の悲劇」からの抜粋(その2回目)です。

エブラ王国の炎上とレバノンスギの争奪戦

当時の南部メソポタミアの木材不足は深刻だった。マリの王室文書には、木を得るのにいかにたいへんな困難をともなったかが語られている。それによると、市民が日常生活に必要な最低限の薪にも事欠くありさまであったらしい。王は、マリ王国の所有する森には番人をおき、他人が所有する木材に手を出すことを禁止している。宮廷の行政官は、木材が手に入らないために、宮殿の修理ができないとこぼしている。

木材の備蓄は、国の命運を左右するほどの重大事であった。マリの南に位置していたバビロンでも、紀元前2千年紀の初頭には木材の不足が深刻化していた。「目には目を、歯には歯を」という名高い条文で知られるハンムラビ法典を作ったハンムラビ王は、「一本の枝でも傷つけたものは、決して生かしてはおかぬ」という厳しい処置をとったのである。

そのような時代に、エブラ王国が鬱蒼とした緑の森とオリーブの園に囲まれていたとしたら、南部メソポタミアの列強の争奪の的になるのは当然であったにちがいない。

森林資源枯渇の原因

メソポタミア地方の森林資源枯渇のもうひとつの原因は、インダス文明の崩壊と、その中継貿易で発展したオマーンをはじめとする湾岸諸国の滅亡であった。

メソポタミアの低地は、木材資源を湾岸諸国から、さらに遠くはインダス文明の諸都市にまで依存していた。インダス文明の港町ロタールは、豊富な木材資源やビーズをメソポタミアの低地にまで運び出す輸出港として繁栄した。

ところが、このインダス文明が3800年前頃から衰退する。その原因は、気候変動と森林破壊による砂漠化であった。このインダス文明の崩壊と機を一にして、メソポタミアとインダスの中継貿易で繁栄した湾岸諸国も崩壊する。このため、南から海路運ばれる木材の供給が途絶えた。これがメソポタミア低地に深刻な木材不足をもたらしたもうひとつの要因だったのである。

消えた森を求めて

レバノンスギなど巨大な森林資材源を領有していたエブラ王国のあったテル・マルディーク遺跡に立ってみた。現在の遺跡から見渡す限り、どこにも森は残っていない。周辺はハゲ山ばかりである。石灰岩の露出した白い岩肌がまぶしく太陽光線を照り返している。

レバノンスギとの対面

はるかなるレバノンの山並みを越えて、私はやっとレバノンスギの巨木にめぐりあうことができた。氷河時代の圏谷の底に、ほんのわずかだけ残されたレバノンスギの森があった。周囲の巨大なハゲ山の斜面に比べて、この森はなんとちっぽけなんだろう。森の直径は200メートル足らずである。キリスト教マロン派の教会を守護する森として、いまではわずかにその姿をとどめているだけだ。

この森の中に足を踏み入れると、驚くような巨木がそびえ立っていた。巨木の周囲は13.5メートルもあり、直径は4メートル以上もあった。巨大だった。それは、どっしりと大地に根を下ろして立っていた。樹齢は6000年あるという。世界最古のレバノンスギだ。アッハッハと、レバノンスギの巨木が笑っているように私には思えた。レバノンスギの森を破壊したのは、古代人だけではない。中世から近世にかけて、キリスト教徒やイスラム教徒による山中の開発が森の消滅を決定的にした。このガディシャ渓谷レバノンスギの森は、キリスト教の一派であるマロン派の開拓団の入植によって伐り倒されたのである。

こうして現在では、レバノンスギの巨木が残るのは、私が訪れたプシェリ村のガディシャ渓谷の一角を含めてわずか3ヵ所になってしまったのである。

衰弱の目立つレバノンスギ

レバノン山脈が急角度で地中海に落ち込む西側斜面は、年間降水量1000~1100ミリに達する。冬には5メートルを越す積雪がある。レバノンスギの森が残っている海抜1800メートルでは、積雪は10メートル以上にも達することもある。とりわけ1992年冬は豪雪だった。このため横に枝を張ったレバノンスギは、雪の重みに耐えかねて、大きな被害をこうむった。根こそぎ倒れるものもあった。

さらに、レバノンスギを襲う病が始まっていた。ひとつは、日本のマツクイムシによるものと似た被害が、ここ数年急に目立ってきたのである。あちこちで、立ち枯れが出はじめた。そして、ハゲ山に囲まれた直径わずかに200メートル足らずの森では、長年の近親交配によって樹勢の劣化が始まっていた。

レバノンスギの巨木と初めて対面した興奮が醒めていくとともに、私の耳には今にも死にそうな森の木々の悲しみの声が聞こえはじめた。この森がなくなってしまったら、レバノンスギの一族の終わりなのです、と森は訴えているように思えた。

追い打ちをかけるように、この森のそばに観光用のペンションを建てる工事が始まっていた。レバノン政府は、このレバノンスギの森を観光の目玉にしようというのである。森の中にも観光道路が作られ、表土が剥ぎとられた部分ではもう根が痛めつけられていた。森のなかに入る観光客も根を踏み荒らす。

こんな小さな森のなかに入る必要はない。立入り禁止にすべきではないのか、と私は思った。ひどいのは、ローマ時代以来、この森を訪れた人が記念に自分の名前を彫る風習がいまも残っていることである。ナイフで木の皮を抉りとり、その樹肌に名前を彫りこんでいるのである。

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