着陸したスぺースシャトル「ディスカバリー」を降り、小さな「日の丸」の旗を持つ、山崎直子宇宙飛行士。2010年4月20日、アメリカ航空宇宙局(NASA)の写真。日本人2人目の女性宇宙飛行士。千葉県松戸市生まれ。以下は、ウィキペディアによる。
プラネタリウムやボイジャーが送ってきた画像、アニメの宇宙戦艦ヤマトなどから影響を受け宇宙を志した。少女時代に松戸市民会館に併設のプラネタリウムに足繁く通い、影響を受けたという。父親が航空自衛隊空挺隊部隊の幹部将校であったことも影響したとか。
現在このプラネタリウムには、山崎が国際宇宙ステーション組み立てミッションに参加した事を記念して「NAOKO SPACE PLANETARIUM」の愛称が付けられている。また、会館の敷地内には松戸中央ロータリークラブより寄贈された記念碑が建てられている。
宇宙飛行士に選抜される以前から、東大大学院で宇宙工学を専攻して有人宇宙機開発したエンジニアでもある。
東京大学大学院を修了後、当時の宇宙開発事業団に入社。国際宇宙ステーションの開発業務に従事しながら宇宙飛行士を目指し、入社3年後、2度目の受験で宇宙飛行士に選抜された。2000(平成12)年に三菱スペース・ソフトウエア勤務の山崎大地氏と結婚、現在、2女の母。
2006年2月に、アメリカ航空宇宙局(NASA)の搭乗運用技術者に認定され、支援などを担当。
2010年4月5日(日本時間、以下同じ)、スペースシャトル・ディスカバリーでケネディ宇宙センターから打ち上げ、宇宙滞在中は、ステファニー・ウィルソン飛行士と共にロボットアームを操作し補給物資を搭載した多目的補給モジュール「レオナルド」をシャトルの貨物室から移動、その後他の飛行士と共にレオナルドから実験ラックや冷凍冷蔵ラック、個室ラックなどの機器や資材、補給物資の搬入を行った。琴、書道、スキューバダイビング、テニス、ジャズダンスなどの趣味を持つ山崎さんは、これらの任務の他、地上との交信行事や希望して持参した特注の小型の琴を演奏したり、俳句の創作と募集なども行った。ディスカバリーで、20日ケネディ宇宙センターに帰還した。
スペースシャトルは2011(平成23)年限りで退役したため、山崎は日本人として最後のシャトル搭乗者となった。