国旗で見る日米関係① – アメリカの呼称


1960年から50年以上続いている現在の米国旗「星条旗」

アメリカの国名はThe United States of America、日本語での正式名称は、アメリカ合衆国。the United States、略して、USとか USAと呼ぶこともある、また、口語では America とか、the States と呼ぶこともある。

現在は50州から成り、各州の権限は日本の県などとは比較にならないほど強大で、州兵を持ち、独自の法律や司法制度を維持し、教育政策を実施している。このことから「合衆国」ではなく「合州国」とすべきだという本多勝一(元朝日新聞記者)のような見方もある。

米国というのは、日本語での略称。明治維新前後から昭和初期まではアメリカないしアメリカ人を「メリケン」と呼ぶのが普通ないし珍しいことではなかった。「メ」にアクセントを置くAmericaないしAmericanの発音が日本人の耳に「メリケン」と聴こえたのは、当時の芸者衆が「Give me a chocolate」を「ギンミチョボクレ」といっていたという言い伝えを知るとき、当然だろうと納得する。

もとはと言えば、1868(明治元)年、新政府が兵庫港第3波止場を開設した当時、そのすぐ近くに米国領事館があったことから、「メリケン波止場」と呼ばれるようになった。1995年の阪神・淡路大震災により、この波止場が崩壊。現在は崩壊した状態で一部が神戸港震災メモリアルパークとして保存・公開されている。横浜港の大さん橋も「メリケン波止場」と呼ばれている。

小麦粉をメリケン粉という家庭はいまでも少なくないように思う。これは主要な輸入元がアメリカだったことに拠る。

「メリケン」の漢字表記「米利堅」から「米国」となったかまたは、日本語でのより一般的な漢字表記「亜米利加」に由来と思われる。中国語では「美国」、韓国語ではその韓国語読み「미국」と表記される。「美国」より以前には「花旗国」と呼ばれていた。

「美国」と呼ぶのはアメリカを賛美したものではなく、日本語の「米国」同様、Americaのアクセントに合わせた中国語の当て字に過ぎない。

ただ、「花旗」というのは、米国旗「星条旗」を見た中国人が、「花のように美しい旗」ということでこのように表現したためである。ちなみに、1902年に上海に進出したアメリカのシティバンクは花旗銀行と称している。

ベトナム語でのアメリカの呼称である「Hoa Kỳ」は「花旗」の音読である。幕末に訪米した人たちは「星条旗」を「花旗」「花条旗」などと呼んでいた。

国名の一部をなすAmericaは、アメリカ大陸全体の名、イタリア人の探検家アメリゴ・ヴェスプッチのラテン語名から付けられた。

イタリアはジェノヴァ人クリストファー・コロンブスはスペイン女王イサベル1世の支援を得、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。その後、ドイツの地図製作者マルティーン・ヴァルトゼーミュラーがアメリカ大陸と命名し、その名が世界的に定着していった。

16世紀以降、ヨーロッパ諸国から果敢に入植が進められ、その一方で、先住民であるネイティブ・アメリカンと協調・交易したり、武力で虐殺、追放して土地を奪っていったこともあった。

当時の日本は室町時代の後半、戦国時代であり、国家意識が未だ確立されていない時代であり、国旗としての「日の丸」が認識されてはいなかった。

アメリカがイギリスから独立したのは1783年のこと。従って、このあたりまでは双方に国旗がなかったが、南蛮渡来の宣教師の残したものには「finomaru」という記録があるし、文禄・慶長の役にあっては、日本から渡海した軍勢はさまざまな「日の丸」を使用していた。

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