世界の国旗は実はよく変わるのです。今、注目しているのは、もちろんシリア。政府軍と反政府軍は掲げる旗が違うのです。そのことは前にかきましたから止めますが、王政を廃止したネパール、ムバラク大統領を倒したエジプトなど、いつ変ってもおかしくない国旗です。
そこに飛び込んできたエチオピアの強権首相の死去というニュース。朝日新聞によると、メレス首相(57)が8月20日、死亡したというのです。国外の病院で療養していたのですが容体が急変したそうです。同首相は、約2カ月間公の場に姿を見せておらず、ベルギーの病院に入院しているとの情報や死亡説も度々出ていたようです。
1991年、メレス首相はそれまでのメンギスツ独裁政権を倒し、暫定大統領に就任。95年から首相となりましたが、それ以後、今度は自身が独裁的権力を確立し、維持してきていました。
こうした独裁政権にしばしばありがちなのは、安定を求める米国が、多額の支援をし、それが、強権政治をまたまた生んでしまうことです。メレス首相も同じパターンでした。国内では少数民族の抑圧や報道規制などを強め、強権政治を敷き、内外の人権団体からは「アフリカ最大の人権抑圧者」などと非難を受けてきました。2005年の選挙では、結果に不満を持ちデモを行った野党支持者を治安部隊が弾圧し、数百人の死者が出た。それでもアメリカはソマリアのことを考えて、これを許容してきました。
現在の国旗は、そのメレス首相の強権確立とともにできた国旗です。1996年2月6日にそれまでの国旗の中央に青で「ソロモンの星」を描いたもので、同年7月19日から8月4日までのアトランタ五輪で世界に知られました。この五輪、パーキンソン病で苦しむモハメド・アリが成果の最終点火者となり、また、田村亮子(現・谷亮子「国民の生活が第一」党所属参議院議員)が、柔道決勝で北朝鮮のケー・スンヒの柔道着を左前に着けるという奇策の前に(?)敗れたり、男子サッカーで日本チームがブラジルを破るという“奇跡”が起こったりしたオリンピックだった。
この五輪でとりわけ、エチオピア勢が活躍したのは陸上競技の長距離。まず、男子1万mでハイレ・ゲブレ・セラシエ選手についで、同じく女子1万mでもゲテ・ワミ選手が金メダル、さらに7月28日の女子マラソンでは五輪前にはまったく無名と言っていいファツマ・ロバ選手が2時間26分5秒で金メダル(2位はロシアのエゴロワ選手、3位が日本の有森裕子選手=1992年のバルセロナ五輪では2位)だった。ロバ選手は五輪、陸上世界選手権を通じて初のアフリカ女子マラソン競技での優勝でした。
これで、メレス首相が「ソロモンの星」を加えたエチオピアの国旗は、いっぺんで世界中に知られるようになったのです。
ところで、緑、黄、赤の三色はメネリク2世にまで遡り、1895年に初めて国旗として採択されました。
エチオピアはアフリカのほとんどの地域が植民地時代にあっても独立を保っていたため、1950年代末から1960年代にかけて独立した多くのアフリカ諸国が、汎アフリカ色としてエチオピアの国旗の三色(緑・黄・赤)を国旗のデザインに取り入れました。
帝政時代の国旗。
中央に皇帝を象徴する「ユダヤの獅子」。皇帝はソロモンとシバの末裔とされていた。
1975年~87年までは中央のライオンが取り除かれた国旗だった。
また、メレス氏がそれまでのメンギスツ独裁政権を倒してから、5年間(1991年~96年2月5日)用いられた国旗。
エチオピア人民民主共和国の国旗(1987~91年)。
メンギスツ独裁体制確立の象徴である人民民主共和国の国章が描かれている