ここで特別のひみつをあかしましょう。
実は、日本も、赤十字のマークをすんなり受け入れた国ではありませんでした。1877(明治10)年、西南戦争のときに、佐野常民、大給恒(おぎゅうゆずる)らによって創設された組織に、最初は赤十字という名前を付けようとしたのですが、太政(だじょう)大臣の三条実美(さねとみ)が「十字はキリスト教のしるしでまずい」と言ったため、やむなく「博愛社」という名前にし、マークは「日の丸」の下に赤で横線を引いたものになりました。
西南戦争の時の「博愛社」による救護活動。
三条太政大臣にとっては、博愛社の規則第4条に、「敵味方の区別なく救う」という意味の規定があり、これが広く理解されないだろうということだったようです。
佐野常民
大給恒
三条実美
博愛社は、その後しばらくはあまり活発に活動していませんでしたが、鹿鳴館時代というヨーロッパやアメリカのまねをしようという流れの中で、約10年後、日本赤十字社(日赤)となり、そのあとは大活躍をしました。
21世紀の今、日赤は国際赤十字の中心的な位置を占め、近衞忠煇(このえただてる)日赤社長は昨年2月に、国際赤十字赤新月社連盟の会長となり、世界各地で活躍しています。
もうひとつ、キミだけに特別のことを教えようね。5月8日の「世界赤十字デイ」、これはまた偶然にも、日本赤十字社の近衞忠煇社長の誕生日でもあるのです。
2011年11月現在、国際赤十字を構成する186ヵ国中33か国が赤新月を、イスラエルのみが赤水晶(Red Crystal)を標章としています。