国旗のある風景45 – 文部科学省前の天球儀


郵政省前の天球儀ポスト。向かい側、国旗を掲揚しているところが、文部科学省

東京虎の門・文部科学省の向い、日本郵便株式会社(旧・郵政公社、郵政省)玄関前には天球儀が設置されており、暗くなると仲で点灯し、星が浮き出すようになっている。

天球儀を描いたポルトガルの国旗

天球儀からの星座を描いたブラジルの国旗

天球儀が国旗に登場する国が2つある。

ポルトガルとブラジル、以前、そのことを書いたが、ときどき、小中学生から質問が来る。先日も、金沢のS博くんという小学校6年生からいろいろいただいた質問の中に、この天球儀と国旗について質問があったので、その回答として、少し書いてみたい。

博くんはサッカーが大好きの様子で、サッカー強国でもあるこの2つの国の国旗が気になってしょうがないようすだ。

ところで、旧郵政省といったほうが解りいいかと思うが、東京・虎の門、今の日本郵政事業株式会社の本社前(文部科学省の反対側)に、天球儀がある。

同社に問い合わせたところ、1991(平成3)年11月1日に建立された「郵便事業120周年記念ポスト」といい、「21世紀に向けて郵政事業の新展開を示すシンボル」なのだそうである。

日没とともに中で点灯され、星座の部分が光るようになっている。なぜ、天球儀が「21世紀に向けて郵政事業の新展開を示すシンボル」なのかについての説明は、よく解らなかった。

いうまでもなく、ポルトガルから独立したのがブラジル。1500年、ポルトガル人ペドロ・カブラルが「発見」し、1502年にはイタリア人アメリゴ・ヴェスプッチが、後に中心的な町となり、2018年に南半球初のオリンピックを開催するリオ・デ・ジャネイロ(銀河)を命名した。

「アメリカ」がこの探検家の名前に由来することは、よく知られている。

その後もさまざまな国がこの地を狙ったが、ブラジルは一貫して、ポルトガルの支配するところとなった。しかし、1808年、ナポレオンのフランス軍が本国に侵入するや、ポルトガルの皇室は挙げてリオ・デ・ジャネイロに避難、1815年のウィーン会議後に帰国したが、残留した皇族を担いでブラジルは帝国として独立した。

1889年、ブラジルは共和制となり、現在の国旗の基礎が確立した。他方、ポルトガルは1910年に帝政が終了し、それまでは今の国旗の緑と赤の部分が青と白だったが、帝政との訣別を明解にするため、今の配色に変更され、紋章の上の帝冠が消えた。

ブラジルの国旗に話を戻す。

ブラジルの国旗はアメリカの国旗と同様、洲の数が増えるに従い、星が増えてきた。1992年5月11日以降、現在は26州と首都ブラジリアを表わす27星となっている。変更から1か月ほど経ったある日、駐日ブラジル大使館から電話があり、「本国からの連絡ではわが国の国旗の星の数が4つ増えたということだ。もし、詳細を知っていたら教えてほしい」。たまたま世界の国旗研究仲間からデータを入手していたので、さっそく青山の大使館に参上して、詳細な配置図のコピーを差し上げた。20年も前の話なのに、今でもよく覚えている。

15世紀からつい先ごろのマカオの返還まで、世界に広がる植民地を持った国だけあり、当時の航海に必需品であった天球儀を大きく国旗に描き、往時の栄光を偲んでいるように見える。

なお、天球儀について詳しいことは下記の富山天文台のHPをごらんください。

www.tsm.toyama.toyama.jp/curators/aroom/edo/te-index.htm

近く、そのブラジルとオーストラリアの国旗の南十字座では、星の配置が異なっていることについて述べることにしたい。

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