ガンジーはヒンズー・イスラム両教徒の融和によるインドとしての独立をめざして献身した。
最晩年の1946年には、現在はバングラデシュとなっている、ノアカリ県に約半年滞在した。インド亜大陸でヒンズー教徒とイスラム教徒の対立がもっとも厳しいとされるこの地区で、ガンジーはなんとか和解を果たし、1つのインドとしての独立を達成しようと自ら努力したのであった。
司政官アーメッド氏と吹浦(1971年11月、ノアカリ県ハチア島で)
拙著
それから4半世紀を経た1971年9月から9ヶ月間、私はそのノアカリ県で国際赤十字の駐在代表として過ごした。12月にはバングラデシュの独立をめぐり第3次印パ戦争が勃発し、ノアカリでも激しい戦闘が行われた。私が当時珍しかった日本人であるということから、バングラデシュ東部の軍事都市コミラの周辺で、年配者から「F」と書いた腕章を見せられたことがある。藤原岩市少佐率いる工作部隊「藤原機関」で働いていたというのだ。帰国後、たまたま自宅が近かったこともあり、藤原邸に参上し、報告もし、お話を伺ったこともある。詳しくは、拙著『血と泥と バングラデシュ独立の悲劇 』読売新聞社)。余談ながら、うれしいことに2011年にNHKからベンガル語で37回にわけて海外放送され、これを聴いたダッカの出版社からの求めにより、2012年にベンガル語版が同国で刊行された。
しかし、宗教的対立はあまりに御しがたいものがあり、ガンジーも最後はあきらめて、デリーに戻り、イスラム、シーク、ジャイナ教徒などを差別する狂信的ヒンズー教徒に暗殺された。