山を描いた国旗⑧ サッカー戦争を戦った国の命運

先日の「サムライ・ブルー」とヨルダンのサッカー戦は悔しかったですね。あの試合で勝つか引き分け以上ならW杯さか資格を得るという肝腎な時に、本田、長友を欠いたとはいえ、前回6点も取って買ったチームを相手に、日本は決められませんでした。次回6月の「本土決戦」に期待しましょう。

そんな中、前回は中米5か国の1つ、ニカラグアの国旗について、「山を描いた国旗」のシリーズとして紹介しました。

その際、地域的に隣接し合っている中米5か国関係のむずかしさを記した最後に、中にはサッカーの試合をきっかけに軍事衝突にまで至った国もあることに触れて終わりました。


エルサルバドルの国章

若いころの私は、あの戦争の報道に接し、「何と血の気の多いことよ」と単純に嘆いていましたが、あれから早くも40余年が過ぎたのだと、今は別の懐旧の念に浸っています。実際はこの戦争の背景には、移民問題、貿易問題、伝統的対立意識、地域的主導権の競合、未解決の国境問題などさまざまな原因があったし、こんなきっかけで、命も暮らしも酷い結果を増幅していく現実の恐ろしさに思いを至らせているのです。

追って詳しく見ますが、サッカーがきっかけの戦争がエルサルバドルの内戦を誘発し、両国、とりわけエルサルバドルは長期間にわたり、悲惨な状況にあったのです。

まず、1969年の戦争で、両国あわせて2千人以上が死亡し、4千人以上が負傷しました。犠牲者の多くは国境沿いのホンデュラス農民であり、また多くの農民が家や土地を失ったのでした。さらに、約12年間続いた内戦でエルサルバドルでは、7万5千人もの犠牲者を出し、経済的損失は約50億ドルに上ると推測されています。

エルサルバドルはかつて、中米で最も工業が発展し、とかく政情が不安定な中米諸国の中で最も安定した民主国家と呼ばれていましたが、この内戦の激化により急速に国力が衰退しました。

一方、ホンデュラスでは戦後、ナショナリズムや国に対する誇りといった新しい価値観が生まれました。しかし、戦争の影響により両国間の貿易は停止され、交通は遮断されて、互いに補完関係にあった経済に深刻な影響を与えました。両国がメンバーであった中米共同市場は、役割を大きく後退させてしまいました。
ただし、中米諸国での相次ぐ内戦に対し、アメリカが軍事的支援を通じ、ホンデュラスを支え、おかげでホンデュラスは政治的な安定を維持でき、近隣諸国との紛争に巻き込まれることはありませんでした。

ところで、サッカー戦争、スペイン語では Guerra del Fútbol。100時間戦争」「エルサルバドル・ホンジュラス戦争」とも呼ばれるこの武力衝突は、まず1969年7月14日から19日にかけてエルサルバドルとホンデュラスとの間で行われました。

発端は、同年6月に行われた「1970 FIFAワールドカップ・予選」でした。1969年7月、ワールドカップ予選で敗れたホンデュラスのサッカー連盟は、第3戦に出場したエルサルバドル代表の2選手が1年前に出場停止処分を受け、いまだ解除されていないまま試合に出場したとして、国際サッカー連盟 (FIFA) に対し第3戦の試合結果を無効とするように提訴したのでした。

OAS(米州機構)が仲介に入り、両政府関係者とOAS平和維持委員会との間で約24時間にも続いたハードに集中した三者会談で、両軍の停戦と撤退、相互財産の保護、OASの軍民合同顧問団による停戦監視の受け入れを決定して、終戦となりました。しかし、エルサルバドルのエルナンデス大統領は19日に行った国民に向けの放送で、占領地域からの撤退を拒絶すると発表したのです。これは同大統領がホンデュラス領内に入った前線地域を視察中、ホンデュラス軍から狙撃される事件が発生したからです。大統領に怪我はなかったものの、広報官を通じ、OASの停戦命令に反するものだとしてホンデュラス側を非難しました。また、エルサルバドル軍は停戦命令後も、ホンデュラス領内からの撤退を開始せず、同領内の陣地をさらに前進させていたのです。

これに対し、OASが「軍事的および経済的な制裁措置を採ることも辞さない」と強い警告を発したにもかかわらず、エルサルバドル軍は21日夜までにホンデュラス南部のナカオメを包囲し、首都テグシカルパとを結ぶ幹線道路を封鎖しました。

7月23日、ホンデュラス空軍の2機の爆撃機がエルサルバドル領内に侵入しサンサルバドルのイロパンゴ国際空港と、その北方16kmに位置するネハバ村を爆撃しました。これはOASの定めた96時間の撤退期限が失効したことを受けたものでした。

両国軍の撤退完了は8月3日のまでかかりました。

戦場から帰還したエルサルバドル軍の兵士たちは国民から歓迎を受け、エルナンデス大統領は国民的英雄と讃えられました。一方、ホンデュラスからは10万人ともいわれる移民がエルサルバドル国内に引き揚げました。1969年の時点で労働人口の20%が失業状態にあるところにです。このため、都市は失業者で溢れかえりました。また、相闘ったホンデュラスとの関係悪化によりエルサルバドル製の工業製品は市場を失ったのです。さらに、エルサルバドルでは「14家族」と呼ばれる特定の富裕層に富と権力が集中し、国民の6割が低所得に抑えられているといった社会構造への不満から、左翼系労働者によるストライキが頻発しました。

その後、両国は関係の修復を果たすまでには11年の歳月を必要としていました。和解は1980年10月30日にペルーの仲介で同国の首都リマで外相同士による平和条約の署名という形で行われました。その背景には、①エルサルバドル内戦における左翼ゲリラの根拠地がホンデュラス国内に存在すること、②その掃討にはホンデュラス政府の協力を必要としていたこと、③国境地域が左翼ゲリラの根拠地となっていたことを憂慮したアメリカが双方に関係修復のための圧力を掛けたためと見られています。

両国の国旗には中米5か国を表す5つの山(エルサルバドル)と5つの星(ホンデュラス)が登場しています。お互いに潜在的には同根の中米の一員だという強い連帯感を保持しながら、その一方で昂揚するナショナリズムに翻弄されるということなのでしょうか。

両国の国旗に共通な青と白の縞の旗は、中米連邦の国旗に由来するものです。私はなら同じ色にしますし、東京オリンピックでももちろん、同じ色にしました。グアテマラやニカラグアの国旗の青も同様です。

エルサルバドルの国旗は1972年9月27日に制定されたもの。民間では国章がなく、縦横比3:5のものが、多く使用されます。ただし、それではニカラグアと区別がつかないのですが、両国はかろうじて国境を接していないので、国内的にはそれでも成り立つということなのでしょう。

また、エルサルバドルの国章にはスペイン語で「DIOS UNION LIBERTAD」(神・統一・自由)という3つの言葉が書かれています。

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