国旗についての物語– category –
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国旗についての物語
国旗の「戦争と平和」②
「1937年7月28日、北シナ駐屯日本軍は中国軍に対して総攻撃を開始し、いち早く北京を占領した。写真は、日章旗を掲げ古都・北京の天安門の石段を登っていく日本軍。8月13日には上海で日中両軍が交戦を開始し、一方、日本軍は石家荘、太原を占領し、日中戦... -
国旗についての物語
国旗の「戦争と平和」①
『LIFE AT WAR』より。 「日の丸」は昭和に入ってほどなく暗い歴史を辿りました。いや、旗が悪いのではありません。時代が芳しくない方向に急旋回したのです。 特に、昭和も二桁になると、中国大陸からアジア太平洋へと戦線が拡大していくに従い、「日の丸... -
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「旗」の付く言葉③ – 「朱団子」は赤丸が3~5個並ぶ御城米船
江戸時代には幟に「朱の丸」をいくつか付けた幟が幕府の領地(天領)からの年貢米を大坂や江戸などに運び込む廻船(御城米船)専用の標識でした。庶民はこれを「朱団子」と呼んでいました。要するに、幕府の領地(天領)からの年貢米を大坂や江戸に運び込... -
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「旗」の付く言葉② – 「幟旗」
水野染工場のHPより 平安末期からその後の武家社会で実際に掲げられた旗は今の国旗のような横長のものではなく、丈が長く幅の狭い布による幟ないし幟旗と言われるものでした。軍容を誇示したり、自軍と敵軍との識別をおこなうために用いたのです。最初は上... -
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「旗」の付く言葉① – 「一旗組み」
木曽義仲(1154~84) 「一旗組み」という言葉は、思い切って新しいことに取り組んで成功した人を、半ば羨ましげに半ばやっかんで言う言葉でしょうか。『当世商人気質』(饗庭篁村、1886)に「殊によれば北海道にて一旗揚げんと思ふなりといへば」とあるよ... -
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寬仁親王斂葬の儀の日の国旗② – in 松山
斂葬の儀が執り行われた6月14日は早朝から愛媛県松山市に行きました。 そこでいささか驚いたのは、県庁、市役所、法務局といった官庁はもとより、伊予銀行、三越デパート、NTTなどなど大手企業がこぞって、国旗で弔意を示すように掲揚していたことです。 ... -
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寬仁親王斂葬の儀の日の国旗① – 東京で
寬仁親王斂葬の儀の行われた6月14日、国会議事堂では半旗が掲げられ、首相官邸では黒いリボンを竿頭に付けるというやり方の弔旗を掲げ、各省庁もそれぞれ弔意を示す国旗の掲揚をしていました。そして、こういう場合にいつも率先垂範している日本財団ビルな... -
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右か左か – ドミニカ国とベネズエラの右往左往②
1954~2006年までのベネズエラの国旗と国章。 星が7つ(現在の国旗は8つ)。紋章の馬の向きが反対。 2006年、チャペス大統領は馬の向きと星の数を変えた。 ベネズエラの国旗は1806年、最初にスペインからの独立を提唱して反乱を企てたたフランコ・デ・ミラ... -
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右か左か – ドミニカ国とベネズエラの右往左往①
1990~現在のドミニカ国の国旗 1978〜 1981~ 1988~ ミカドボウシインコ(ウィキペディアより) ミカドボウシインコ(Imperial Amazon(学名:Amazona imperialis))現在絶滅の危機に瀕しているドミニカ国にしかいない鳥。英語ではimperial parrotという... -
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国旗のある風景9 – 旗竿は左側を想定
ありがたい頂戴ものにケチをつける気は毛頭ありません。 ただ、以下、私が申し上げたいのはちょうど、一昨日、小欄で、「1830年にドラクロアによって制作された絵。手にしている旗は青白赤の横三色旗です。初期においてはこの絵のような青白赤の横三色旗だ... -
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日枝神社「山王祭り」の諌鼓鳥から連想する赤道ギニアの国旗
「古事記」に登場し、太田道灌が「江戸の守り」として造営し、今では都心にある「皇城の守り」として、国会議員や芸能人に特別多く参詣されている日枝神社(千代田区永田町)。孫の宮参りで私も先般、参詣致しました。 日枝神社「山王祭り」の輦の上には諌... -
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「日の丸」「君が代」は侵略戦争の遺物?② – 田原総一朗さんの公式ブログ