1945年10月、ピョンヤンでの赤軍歓迎式典で「太極旗」。
国旗について講演を頼まれるとき、「どこの国旗が一番好きですか?」との質問を受けることがある。私のホンネでは、政治抜きの純然たるデザインとして、北朝鮮の国旗やウクライナの青と黄色の横二色旗が大好きであり、デザイナーに感心している。
なんとか北朝鮮の国旗をデザインしたすぐれたデザイナーの名を知りたいと思い、一昨年、朝鮮総連に問い合わせたところ、歴史研究所からの電話での回答で、「今となっては判らない」とのことであった。
上野の美術学校(現・東京藝術大学美術学部)かモスクワに留学?した人かななどと想像をめぐらし、あるいは、何かで粛清されてしまった人かとあらぬこと?を考えてみたりする。
是非、発表してほしいものだ。
ところで、1945年10月にピョンヤンで行われた「赤軍歓迎式典」では、今の韓国旗である「大極旗(テグキ)」を掲揚していたのに、1948年9月9日の「建国式典」には今の国旗に変わっていることは、注目すべき史実であろう。
テレビの放映でも見たが、2011年11月18日の産経新聞の社説によれば、同月16日、ピョンヤンで行われた日朝サッカー戦は「異様な光景だった」。「競技場は、5万人の観衆で埋まり」、太鼓、メガホンで大音響の応援を続け、バックスタンドでは得意の人文字まで繰り広げられた。
これすなわち、動員だったということだろう。試合前の両国国家の演奏では、<君が代>は怒声でかき消されたという。
相手国の国歌を起立して静かに聞くという、最低限のマナーもこの国にはないのか。
日本からのサポーターは、50人に限定され、国旗の持ち込みや、選手のユニフォームにある日の丸をつけた複製ユニホームの着用も禁じられた。
「座席で立ち上がることさえ注意された」という。9月に埼玉スタジアムで行われた同じ対戦相手の日朝ホームゲームでは、北朝鮮サポーターが自由に、何本もの北朝鮮国旗を振って応援していた。
国旗はその国に敬意を払うためのものであり、国を否定するためのものであってはならない。
スポーツの試合が必要以上に加熱しないよう、北朝鮮が国際社会でまともな国になってくれることを切望する。
北朝鮮のキジョン洞の国旗掲揚塔に掲げられている国旗。
どうやって掲揚するんでしょうね。お分かりの方教えてください。
写真はウィキペディアから。