国旗についての物語– category –
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国旗についての物語
普賢菩薩象と白象の国旗
タイの国旗 ラオスの国旗 GWには日頃あまりテレビ番組を見ない私でも、美術や音楽など、なかなか質の高い内容のものが多いので、ときどき食い入るように見てしまうことがあります。今朝も、各地で開催されている特別展を紹介する番組があり、その中で普賢... -
国旗についての物語
韓国旗を富士山麓の湖底に立てた愚挙
この韓国旗は湖底に立てられたものとは関係ありません。 5月16日、八王子の拓殖大学の特別講座で「国旗と国家主権」と題して、講義をしてきました。約250人の受講生がおり、おおむね、いい雰囲気で授業を行うことが出来ました。 私はこの大学の客員教授を... -
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「南京事件」と国旗
南京城内に掲げられていた中華民国の「青天白日満地紅旗」。 パラマウント映画のアーサー・メンケンが撮影した日本軍の南京入場直後の様子。 「南京事件」に触れた前回の記事で、中国の最近の専門家の意見を簡単に紹介したところ、もっと詳しく書いてほし... -
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「青天白日満地紅旗」の物語
日本が中国と戦っていたころは中国大陸全土に翻っていた中華民国の国旗「青天白日満地紅旗」。 1928年、現在は、台湾政府の支配する地域、すなわち、台湾、澎湖島、刑務所のある緑島、中国福建省に属する金門島、馬祖島、そして南沙群島(スプラトリー諸島... -
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南極の地での3つの国旗③ – 南極大陸で翻った「日の丸」
満艦飾をした開南丸。満艦飾をしていることから、出発前の芝浦桟橋での撮影と思われます。 1910年、白瀬 矗(のぶ)は国民からの義捐金を基盤に南極探検の可能性を探りました。このためには、かねて険悪の仲となっていた郡司にも頭を下げ、積載量204トンと... -
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南極の地での3つの国旗② – スコット隊の悲劇
イギリスの国旗「ユニオン・ジャック」 ロバート・スコット(イギリス) 一方、スコット隊です。1912年1月4日に南緯87度32分の地点でスコット、エドワード・ウィルソン、ヘンリー・バウアーズ、ローレンス・オーツ大尉、エドガー・エヴァンスの5人が南極点... -
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南極の地での3つの国旗① – スコットを出し抜いたアムンゼン
最大規模で南極に向かったのは、1902年、ロバート・スコットの第一回南極探検隊でした。しかし、この探検隊は、残り733kmの地点で断念せざるを得なくなり、病気によってソリを引く犬の全てを失い、のちに著名な探検家となったアーネスト・シャクルトン(ア... -
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最北の地での「日章旗」 – 占守島に「日の丸」が立つまで③
1893(明治26)年3月20日、隅田川を出航する送迎セレモニーを描いた錦絵(画・梅堂国政) 56歳の片岡侍従らによる日本の最北端への渡航は、当時の青壮年に大きな影響を与えました。とりわけ有名なのは郡司成忠(1860~1924 文豪・幸田露伴の実兄)をリー... -
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最北の地での「日章旗」 – 占守島に「日の丸」が立つまで②
1855年の日魯通好条約で、樺太は雑居地とされ、日露両国人が混住していましたが、日本側は漁民たちがいくつかの小さな集落を形成していた程度であったのに対し、ロシア側は盛んに進出しました。政治犯や一般犯罪人をも送り込みました。これらの人たちは極... -
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最北の地での「日章旗」 – 占守島に「日の丸」が立つまで①
川路聖謨 プチャーチン 1855年2月7日の日魯通好条約で、日露両国は初めて国境を定めました。この交渉は最終的に幕府の海岸防禦御用掛(としあきら、1801~68)とエフィム・プチャーチン提督(1803~83)による協議で決着し、ロシアはアメリカに次いで日本... -
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フランスとイタリアで3つの三色旗
三等分の「三色旗」 30:33:37の「三色旗」 フランス国旗「三色旗(tricoloreトリコロール)」は近世史上、世界で最も人気のある旗かも知れません。私の記憶では外国の料理を専門とする日本のレストランが最初に国旗を掲げるようになったのは、フランス料理... -
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船舶の国旗掲揚義務
逃走する「不審船」を高速追尾する巡視船「いなさ」(海上保安庁のHPより) 横浜の大学生Nさん(法学部2年生)から、「不審船」と国旗の掲揚についての基本的な原則を教えてほしいという質問をいただきました。簡単に説明しましょう。 国際法は旗国主義 pr...